寒さとの闘い(私の昭和 17) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

 

 

MIYUKIです。

 

初雪が記録的に遅かったこの地域にも、2日前からの大雪で、今朝方(11/25)除雪車が入りました。

 

今年は暖冬と言われていますが、果たしてどうなることやら・・・

 

昨今、冬と言っても、庭の冬囲いは別として、私の子供時代とは違って特段これといった差し迫った準備は、無くなってしまったように思います。

 

灯油は電話一本で届けられるし、店には季節感なく色々なものが豊富に売られています。

 

漬物を付け、暖房用の石炭を用意し、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ類の越冬野菜の準備・・・昔の冬支度はもっと生きていくための切迫感があったように思います。

 

 

その中でも大事な準備の一つに、防寒がありました。

 

 

木造で、断熱材などというものがまだ存在していなかった時、家をどう寒さから守るか!

 

今思うと、よくもまあ、あのような作りの家で冬が越せたものだと、感心してしまいます。

 

勿論サッシでもない、ゆがんだ木の枠の窓という窓を、外側からビニールで覆うのです。

 

つまり、冬の間は窓は開けられないのです。

 

これが基本的な防寒対策でしたが、我が家はその上をいってました。

 

父親がもっと暖かくする方法はないものかと思案し、茶の間(居間とは言わず、ちゃのまと言ってました。)の天井にもビニールを貼ることにしたのです。

 

今の寒冷地の住宅は、どの部屋にもストーブが付いていているのですが、当時は普通、茶の間にしかストーブが付いていませんでした。

 

つまり、暖かい部屋は一つだけで、後の部屋は

 

「これは家の中なのか?」

 

と思えるほどに寒かったのです。

 

しかし、その天井のビニール効果は絶大なものがありました。

 

 

父親の自慢の防寒アイデア!

 

毎日のように外を見ては

 

「向かいの家の氷柱を見てみろ、暖気が逃げてるからあんなに大きな氷柱が出来るんだ、それに比べて家の氷柱はどうだ?細いだろう?それだけ家が暖かいってことさ!」

 

父親の自慢話を連日聞かされる羽目にはなりましたが、実際暖かくなったのは間違いなしなので、聞くしかありませんでした。

 

遊びに来た人たちは、天井を見て一様に驚きます。

 

「これはいい!」

 

真似した人がいるかどうかは分かりませんが、天井に貼られたビニールを見ると、ふにゃ~とした私たちがボンヤリと映るのが面白かったのを覚えています。

 

どの部屋も暖かい・・・なんとも快適この上ないのではありますが、ひと部屋しか暖のとれる部屋が無い、ということは、家族みんながその部屋に集まってくるという事です。

 

寒い冬に家族肩を寄せ合って生きる・・・確かに寒い家だったけど、心の中は温かかったのかもね・・・