MIYUKIです。
日本全国が寒気団に覆われている感じですね。昨日は-16℃、最高温度も-5℃位、数日はマイナス2ケタ台の気温が続きそうです。
インフルエンザも流行ってきているようなので、お互い気を付けましょうね。
さて、20数年前に読んだ本の中に、記憶が少し曖昧ですが、このようなニュアンスの事が書かれていました。
「子供が食事をきちんと食べた事を褒める時代になった時期から、子供との関わり方を変えていかなくてはならなかった・・」
というような文でした。。
私が育った昭和の中期、食べ物を含め色々なものがまだまだ不足していた時代でした。
当然食事の時間ともなると、誰よりもおかずを沢山食べたい、誰よりも早くおかわりをしたい、というのが当たり前でした。
給食も(メニューによりますが)、特に男子はお代わりのために我先にと並んでいました。
私は三姉妹で、男と言えば父親だけの女系家族。
そのせいか家庭内は、男子が混じっている家庭よりも平等意識が高かったかもしれません。
というのも、当時はまだ(今でもでしょうか?)男子が特別扱いされ、おかずにしても分量にしても、男の子がいい所を食べ、分量も多いものでした。
食べ物の恨みは恐ろしく、その事を今でも根に持って、「おにいちゃんはいい思いをした、私は魚の頭の方を食べた事がない、いつも魚のしっぽの方しか食べられなかった」
と、悔しそうに話す友達がいます。
そんな中、女中心の我が家では、食事に限らず、全ての事が殆どが平等でした。
おやつと言えばサツマイモ、カボチャの時代、それでも貴重な、例えば羊羹やカステラ類のおやつがあたる時もありました。その貴重なおやつを分けるような場面になると、それはそれはピリピリと肌突き刺さってくるような緊張感が、家全体を包むのです。
こういう場合、普通は母親が切り分ける役になります。
三姉妹の鋭い眼差しは、しっかり平等に分けなさいという激しいビームが母親の持つ包丁に降り注がれ、その迫力に負けて手元がぶれようものなら、そのまま切腹ものです。
脂汗を流しながら切り分けられたおやつは、まずジャンケンで選ぶ順序を決めます。
ここまでくると、さすがに文句はもう言えません。
友人の家では、子供たち自身で平等に分けあっていましたが、切り分けた本人は、一番最後に残ったものになるという、厳しいルールがありました。切り分ける役になった子は、それはそれは可哀想な位に慎重に成ります。時には定規を持ち出しての切り分けにもなるのです。
小学校の授業中に、おやつで得をする方法を教えてくれた先生までいました。
「いいか、みんなよく聞け、羊羹は一番端を選びなさい、なぜなら端には砂糖が固まってついていて、美味しい。牡丹餅は、最後にもらいなさい、なぜなら残ったあんこを全部すくい取る事が出来るから・・・」
冗談とも本気ともつかない話をしてくれましたが、「なるほど!」と思ったものです。
何時の頃からでしょうか?
私も子供を育てている時に、おかずをちゃんと食べさせることが大きな課題になったり、また、残さず全部食べ切れたら、
「あら~えらいね、残さず全部食べれたね!明日も頑張ろうね」
と言いながら、嫌がらずに食べてくれるだろうかと心配しながらの食事でした。
夕食が待ちきれず、母親に「早く、早く」とせかし、お膳に食事が並ぶと、待ってましたとばかりにもりもり食べる・・・これがどこの家庭でも繰り広げられていた食事の光景です。
子供にお腹一杯食べさせてあげる事が何よりの親の務めであり、不足している生活用品を取り揃えてあげる事が、親の大きな役目のひとつでもありました。
経済成長著しい昭和中期から後期、環境はどんどん変化していきました。
いつしか、豊かな食糧、あふれんばかりの物質が当たり前の世の中になっていました。
「食べてちょうだい」と子供にお願いし、食べたら「偉いね」とほめてあげる時代の到来でした。
あふれんばかりの物質に囲まれていても、更に与える事が、親の役目であり、愛情だと思っていた昔の親世代と、既に物質的に充足していた子供の間には、行き違いが生じるのも無理のない事かもしれません。
しかし更に時代が進み、今、あの昭和中期の貧しさとは全く違う新しい貧しさが蔓延しているようです。
「子ども食堂」や「フードバンク「」という取り組みが、それを象徴しているのでしょうか。
周り皆んな貧しく、その事が特別でなかった時代とはかなり違いますね。
縁起のいいお煎餅を頂きました。より多くの子供たちが幸せになれますように!

