世捨て人の庵 終了 | One of 泡沫書評ブログ

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世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

先日その復活を祝うエントリを書いたばかりだが、残念ながら世捨て人氏はサイト自体を閉めてしまうことにしたようだ。非常に残念である。世の中には無数のサイトが生まれては消えていくが、サイトがなくなって残念だと思うのはかつての「コム・サ・デ・ナード・メン」以来である。

「コム・サ・デ・ナード・メン」がなくなったとき、わたしは何とも言えない喪失感に陥ったものだ。後半、更新が滞り始めたころにはもうほとんどアクセスしなくなり、なくなったことすら気付かなかったのだが、かつて熱心に見ていたサイトがなくなると、いくぶんセンチメンタルな気持ちになる。そんなこともあって、当ブログの名前はその「ナードメン」からもじっているのだが、いまでは「コム・サ・デ・ナード・メン」のキーワードで検索しても、当時のよすがは見る影もない。京極堂の妖怪話よろしく、「コム・サ・デ・ナード・メン」は、この世から消えてしまったわけだ。

いまでは時代が違うから、「世捨て人の庵」はサイトを閉めた後もそれなりにログっぽいものが残るだろうし、ブログサービスとブロードバンドの普及で個人サイトを持つ人もおかげでずいぶんと増えたから、世捨て人のことを言及するサイトはこれからも残り続けるだろう。だが、何よりも当時のよすがを知る伝手は確実に失われるに違いない。そこで、世捨て人の庵を語り継ぐという意味で、非才を省みず世捨て人氏のこれまでを振り返ってみたい。もちろん、記憶を頼りに書いているので誤りがあればそれはすべてわたしの責任である。

■世捨て人の庵とは

世捨て人の庵が誕生したのは10年前と語っているから、たぶん2000年よりもう少し前のことだろう。メインコンテンツは色々と名前と形式が変わったが、趣旨は「大衆批判」で一貫している。当初は字数を決めてのコラム形式で大衆批判をしていたが、次第にブログ的な形式で時事ネタを扱うようになり、字数の削減と引き換えに更新量が増えていった。当時まだ「いい大学を卒業→大企業か官僚になる」みたいな優等生コースが最善だと信じられていたため、大衆批判というのは非常に挑戦的な試みだったように思う。事実、わたしも最初は衝撃を受けてかなり頭にきたことを覚えている。頭にきたので批判してやろうとずっとウォッチしていたのだが、次第にわたしも同じような考えになってしまったのが面白いところだ。

■世捨て人「AZMA」氏

たしか1950年代中頃の生まれだから、当時45歳くらいだったのだろう。わたしはしばしば「世捨て人」氏と書いているが、正確なハンドルネームを「AZMA」氏という。記憶をたどってプロフィールを書いてみよう。

・ハンドル名:AZMA (閉館寸前はチャールズAZMA)
・北海道出身
・某国立大学工学部電子工学科卒
・未婚
・賞罰なし
・座右の銘:人を使わず、人に使われない人生を目指して ・・・だったと思う。

略歴は以下の通りだ。

・某中小ソフトハウスでシステムエンジニアを2年くらい(激務にムカついて辞める)
・その後もフリーのエンジニアで数年
・30歳くらいで仕事を辞め、アパートを引き払って自転車で日本一周の旅に出る
・1年くらいで旅を終えアルバイト生活に(専業フリータというらしい)
・40歳くらいでSOHOやネットコマース等で生計を立てようとするも挫折
・45歳くらいで軍資金700万を手に株式投資の世界に入る
・一端投資に集中するためサイト更新を中断
・金融危機の影響(?)で資産が目減りし、株から足を洗う
・サイト再開
・サイト閉鎖←今ここ

このほかにも、記事から以下のことが推測できる。まとまってないWikipediaの記事みたいに書けば、こうだ。

・某国立大学というのは、北海道大学だと考えられる。
・オーディオが好きで音響関係の仕事に就こうとするも、サラリーマンが嫌でフリータに。
・個人でできる仕事として翻訳家を志していた時期がある。
・現在は、小田急沿い小田原付近に在住。
・SE時代は、都内で金融系の仕事に従事し、第3次オンライン化等をやっていた可能性
・松島エリースが好き(?)
・親指シフト愛好者

ここまで記憶で書ける自分が少し気味悪いが、けっしてホモではない。(ていうか会ったことないし)

■日本になじめなかった男

終始一貫した姿勢で大衆を批判し続けた氏だが、その攻撃的な文章とは裏腹に非常に人の良さそうなすがたが透けて見える。非常にモラルが高く、まじめで、業務遂行能力も高いようであり、一見何の問題もなさそうに思えるのだが、かれには唯一、日本において決定的に重要なある要素が欠落していた。それは「大衆」になれる能力のことだ。かれの言う大衆とは、付和雷同的で、文化や慣習に疑問を持たず、没個人的で、それでも自分だけは大衆ではないと思っているひとたちのことだ。要するに、わたしや、あなたたちのことだ。

平均以上の頭脳をもつかれは、日本の商文化に合わせていかようにもふるまうことができただろう。空気を読む能力も普通の日本人以上にあるように思える。だからやり方ひとつでいくらでも社会に適合することはできたはずだが、精神的な自由を手にするために敢えて自発的に経済的な自由を放棄したのだ。今の水準からすればずいぶんと極端でストイックな生き方だが、いまから30年前の日本では、かれのような「隠れキリシタン」には生き地獄だったに違いない。

■21世紀の世捨て人たち

昨今の不況の影響で、ますます保守化するわが国は、以前よりもますます排他的で非寛容、同質的で同調圧力が強くなっているように思える。だが昔と大きく違うのは、いまはインターネットがあるし、国境線も昔ほど強固な意味を持っていない。あの中国ですらいまや世界有数の資本主義大国になろうとしている。この違いははるかに大きい。たとえば、pha氏のようなネイティブなニートもいれば、海外ニート氏のように、海外脱出しておおっぴらに大衆批判をしたりするひともいる。また、日本のくびきから脱出したりもじろう氏のようなひともいる。

幕末になぞらえれば、いまだ階級の縛りは強く、人々の平均的な意識は江戸時代のそれだが、一方で脱藩しても死刑にはならず、海外の書物を読めるというような状況に近いだろう。それを考えると、わたしはいつも、世捨て人があと20年遅く生まれてきたとしたら、どのような生き方をしただろうかと思うのだ。人は時代の制約から自由にはなれないものだが、世の中というのは難しいものである。


世捨て人氏の残りの人生に大いに期待し、サイトの再開を切に願いたいと思う。