日本は行きすぎた市場原理主義-すなわち、アメリカ型グローバリズムから脱却すべきだ | One of 泡沫書評ブログ

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Japan must shake off US-Style globalization


米国スタンフォード大学の博士号を持つインテリ、鳩山由紀夫民主党代表が書いたという論文。


まあこれも池田さんのブログで知ったわけですが、要するに「日本の新しいリーダーは”脱欧入亜”を志向しているのか?」ということで、米紙(クリスチャン・サイエンス・モニター紙)が掲載した内容が思いのほか物議をかもしているという内容。「日本の新しいリーダーは何を考えているのか? かれの言う”友愛”というのは一体何なんだ?」ということで論理的な欧米のジャーナリズムは苦笑しているらしいです。ま、わたしは原文の記事はall Englishのため読んでませんが。。。


池田さんはこれをみて、鳩山さんの経済音痴っぷりを嘆き「世界の田舎者になるな」と警鐘を鳴らしていますが、わたしはむしろ、鳩山さんがこのような立派な英文を書けることに驚いた。(と思ったら、英訳したのは誰か別な人らしいです。なんだよ、もう)


米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら



腐ってもまだなんとか経済大国の地位にある国の首相は、それなりに注目を浴びるんだなぁ・・・と感慨深いものがある。鳩山さんの意見は民主党のサイトで読むことができるが、日本人が日本語で読むとたしかに「へぇ~」くらいの感想しか浮かばないだろう(それはそれでまずいが)。しかし、英訳すると途端に電波発言になってしまう。ということは、要するに内容が「電波」だと、少なくとも先進国の間では受け止められるということなのだろう。


2009年8月「私の政治哲学」


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 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。


(中略)


 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体の中で、仕事や役割を得て家庭を営んでいく中で保持される。

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このあたりが、”日本人にしか分からない論理”なんだろうなぁ。


日本語で書くとなんとなく「そうかな」っていう気分になるけど、英語で書くといまひとつ何が言いたいのかわからなくなる。


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Capital and means of production can now be transferred easily across international borders. However, people cannot move so easily. In terms of market theory, people are simply personnel expenses, but in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions, and culture.

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いかに日本人が日本語に守られているというのがよくわかる一例、ということなのだろうか??