よつばと! | One of 泡沫書評ブログ

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世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

よつばと! (1)/あずま きよひこ
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漫画である。


活字ばかり読んでいない、視野の広さを誇ろうというのではない。


こんなところで告白しても仕方が無いが、わたしは以前、漫画家を志したことがある。といっても、正確には、何か投稿するとか同人誌を作るとか、そうした具体的な行為に結びついていないので、妄想していたというのが正しい。まあどこにでもいるアキバ系のオタクの一人として、授業中にいつもノートに絵を描いているような、その程度の話だ。いまでも、そこそこ描けると自負しているが、数年前まではそれこそ毎日何か描いていた。高校・大学は机に向かっていることが多いのでまさに蓋然と言えよう。さて、そのときに絵のテキストとして最も参考にさせていただいていたのが、パイオニアLDC系の「ムック」である。あずまきよひこは、そこでおまけ4Pや2P漫画を描く、商業誌系同人作家(こんな言葉があるのかどうか、知らない)のはしりだったと記憶している。


作風自体はおそらく変わっていない。「プリティサミー」「天地無用」「神秘の世界エルハザード」など、90年中盤はエヴァンゲリオンの影響なのか、田舎の本屋でも結構その手のムックが手に入った。結構な値段がするのだが、貴重な原画やセル画があるのは絵描きとして嬉しいものだった。また、もっと期待していたのが、欄外や巻末にあるおまけのコーナーである。ここに、あずまきよひこは必ずパロディを描いていた。つまり、誤解を恐れずに言えば、明らかにメジャーではない、マイナーな絵描きの一人に過ぎなかったということだ。しかも、かなりメインストリームから外れた。



ブレイクしたのは言うまでも無く「あずまんが大王」のヒットに拠るのであろう。このころから、背景などにも力が入る、というより、入れられる環境が出来たのであろう。「よつばと!」と比べると、これまで家内制手工業だったものが急に工場生産となったような趣に変わった。作画もかなり安定してきているように思える。これを進歩と見るか、商業化による「退化」と見るかであるが・・・私はもちろん「進化」とみる。私だっていつもいつも変化球だけ投げているわけではないよ。いいものはいい、とそう申し上げているだけだ。


さて以上は所謂前フリである。長い前フリは、本来必要の無いものである。残したのは、私が文筆家としてアマチュアだからである。プロなら削るだろうが、アマチュアは仕事ではないので書きたい放題なのだ。だから、せっかく書いたのだから残しているのである。読んでくださった方は本当にご苦労様です。



作品の批評にうつろう。


有名な作品であるから、例によって書評は結構いっぱい出てくる。ためしに「よつばと 批評」でググってみてほしい。わりと鋭い意見が多くて驚くのではないか。こういう人の意見 を読んでいると、だいたい自分の考えていることと同じで、しかもそれをきれいにまとめており、いちいち書く気力を失う。


私の感想はというと、端的にいえば、「性的な部分を巧妙にラップした、どこかにありそうで、絶対に存在しないユートピア」を描いた作品といいたいのだが、プロはそのへんをきっちりとコピーにまとめている。たとえば、三巻のオビはこうだ。


「どこかで

 見た、

 どこにも

 ない場所へ」


言いえて妙である。さすがはプロといったところか。「よつばと!」の世界観をよく表していると思う。


しかしながら、この優秀なコピーにも欠けていると思われるのが、「性」についての断面である。だがこれは当然のことなのかもしれない。作り手の側はそれを隠蔽することで、オタクマーケットに対して清浄なイメージとともに「よつばと!」をマーケティングしているのだから。


どういうことか、もう少し説明させていただきたい。


私は、この作品の受け止め方には、大まかに二種類あると思う。ひとつは、よつばを中心とした日常をほのぼのとしたタッチでつづった、癒し系の作品という文脈である。発表される媒体が大きければ大きいほど、こうした意見が多数派を占めるに違いない。確かに主人公はよつばであり、この「どこかで見た日本の原風景」は、よつばの視点から描かれているのは論を待たない。間違いではないと思うが、しかしこれはあまりにもいい子ぶった見方とはいえまいか。


もう一つの受け止め方とは、「とーちゃんを中心とした、風香とあさぎ・ジャンボを交えた、甘いようで性的な恋愛に発展する可能性を秘めた萌えを感じる」というような行き方のことである。私のような多くの「アキバ系青年」が感じるのではないかと思うが、どうだろうか。自分で書いていて見も蓋もないと思うが、世の多くの同人誌やギャルゲというのは、こうした妄想を出発点として創作意欲をかきたてているというのが事実なのだから、仕方があるまい。そして、版元である角川はこうした「文脈」はまさにお家芸といっていいほど、得意中の得意なジャンルのはず。こうした状況から鑑みるに・・・


この、とーちゃんと風香を中心とした文脈というのが、「よつばと!」の本質的なヒットの原因なのではないか。


私のようなオタクには、そう見える。そして、それを巧妙に隠蔽して、よつばの無邪気さや作品全体のほのぼのさでカムフラージュしている。だからこそ、文化庁などという堅いお役所で取り上げられたのであろう。しかしもちろん、文化庁殿が支持しているのは「よつばの文脈」である。決して「とーちゃんと風香」の文脈ではない。しかし、この作品を大ヒットたらしめているのは、後者の見方であると私は確信するのである。


そう思えばこの作品は一般の方にも薦め易い本といえよう。前者の見方をする人は、勝手にこれをほのぼの漫画と受け止めてくれるであろう。しかし薦めたほうが、まさかギャルゲ的な穿ち方をしているとは夢にも思っていないであろう。こうした断絶を内包しつつ、名作であるというのが、やはりヒット作たる所以というべきか、いやはや。