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AMiAM 私は~私 design office

1996年16歳で渡英し、イギリス・イタリア・ベルギーで
Fashion Designを学び2007年帰国。
2009年より熊本を拠点にファッションデザインの分野で事業を始めました。
FASHIONの事から日常の事まで気ままにあるがままに綴って行きます。

風邪悪化させないように今夜は早めに帰宅。
頭がぼーっとする時はカフェイン多めで、縫製等考えず1つに集中する作業ははかどります。


I'm so happy, because you're so happy.







今日は月が満月です。

月の満ち欠けとともに満月の日の夜には、自分の今の立ち位置と、1か月単位での未来を確認するようにしています。
次の満月までの間には仕事で1つの足の踏み場があるのでそれが中心です。

そして明日からまた1カ月先に向かって頑張ります。



一宮のギャラリーとショップに寄ってきました。














アメジストと翡翠水晶に囲まれた岩盤浴があるファームランドからも車で20分ほどです。

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ロープウェイ乗り場で阿蘇山を眺めながら火山灰ラーメン、そして阿蘇山頂。
ここに来るまでの自然の中のドライブで心身ともにリフレッシュされました。




硫黄の匂いと幻想的な色で、まるで黒澤明の夢という映画に出てきそうな風景




休日は広い自然の中にいることがほとんどです。
自然と神社はただ自分にエネルギーをくれます。



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trousers LS1139 1型分釦つけ残して縫製終わり。
レディメイドで作っておく分、オーダー服に比べて時間の有効活用はできるがその分の労力は当たり前に使う。
これを縫製工場は1年を通して作業を続け、流れ作業で行うという事は生活するために単純作業になっていって普通の事。
そこがパリ、ミラノの大手メゾンの中に各々の技術者を持つところと、日本のようにメゾンに技術という土台を作る事より先にデザイナーが物語作りをしてしまい、プロダクトとして生産し、工場が生活の為の単純作業、ビジネスとして延々と半年に1度消費するところの質の差だと感じている。

ジャケットとトラウザーズは1ミリというより0、5ミリ縫いがずれたら全体の見た目が変わる。
デザインがシンプルであればあるほどパターンより縫製の方のごまかしがきかない。
技術と、糸から縫いの違いまで見る事のできるデザイン力を持たなければ本物の高級服までには行きつかない。
そういう意味で情報やイメージというのは技術力やデザイン力というものまでの向上をストップさせてしまう。

大量生産品とシャネル等のメゾンとの技術の違いは、油絵画家が自分が見たものを描くのと何かの絵を複製するくらいの違いがある。
シャネルの1939年に撮られたポートレート写真を見ていて縫製の真っ直ぐさではなく縫いのニュアンスからもシャネル独特の匂いを感じた。






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昨日からパリコレも始まりました。

昼食時に、インターネットでミラノ、ニューヨークコレクションの方も一緒に見ていたんですが
今の時代の中で目にとまったのはニューヨークで発表しているDonna Karan、ミラノで発表しているGiorgio Armani、さすがにすごいですね。
時代遅れのコンセプトや物語づくりもなく。




Donna Karan

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Girgio Armani

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今回レディメイド服での展示会に向けて縫製が続いています。
それからブルガリアのSofiaから保証書と一緒に前のシーズンの修理が届いていたのでこれから残業で直し。
シーズン使い捨てなのではなく、時間が経っても個人が大切にしてくれるのはお金や名声よりもブランドとしてありがたい事です。

個人オーダー受注はストップしていますが、来月末から11月まで既製服の展示の方も、偶然に服を見つけた個人へ向けて、僕はそれが本来洋服を買う方また作る方のあり方だと思っています。
バイヤーの方は主に年に2回ほどの予算を組んで日本では春夏は10月頭から中旬に発注をかけるので仕事の流れは中間となるセレクトショップ形態とは取引が合いません。
そして量産メディア媒体での広告よりもっと自然なあり方で服を作り続ける事が第一、
自分の為のシステムを自ら作る事、着る事を選ぶ人が前のシーズンの服を望むのなら発表は年に1度でも、もしくは個人と1対1であれば特別しなくてもいいはずです。
それも含めて1つ1つ細かな所から自ら選び、考え、ブランドの立ち位置をしっかりと自分の手で日本に作っていく事が楽しみです。

私は私である事がファッションにおいても社会においても自分が願う事です。





休みの日は阿蘇に行く事がほとんどです。
エネルギーを充電するのには自然からしか充電されません。

以前働いていた会社の社長から、夜寝るまで洋服の事デザインの事を考えるよう言われた事がありますがそれは学生の時からそうで、
デザインと日常と切り離す事の方が逆に難しいです。
時にはデザインの神経から切り替えたいと思っていたのはそれこそトライしても難しい事で、そうしようとする事は心の恐れでしかなかった事だと気付かされた気がします。

街中にいても幾何学の形に目を奪われ、友人と話していても頭の片隅には別の事があり、図書館やレンタル映画、音楽にしてもデザインの事ブランドの方向、知らない事への探求が頭に常にあります。

以前師事していたデザイナーに最初に言われた、デザイナーは牢獄に入っているんだよという冗談もめっきり冗談とは言えません。
牢獄を自分の一番の住処にする人も、牢獄から逃げ出したいと思う人もそれぞれだというだけの事です。

それはどんな職業でも、そうです。

色んな事が周りで起きても生きる中心とするものに当てはめて物事を理解する、それは仕事でなくてもそうだと思います。
家族、恋愛、自分が最も大切とするもの。
何かしら守る物、大事にするものがあるから成長をします。
自分には自分自身が選択した守る物があり、自分も同じように守られています。家族から、信頼しあう友人から、そして自然から。

自然というのは流れを与えてくれます。
目線が狭まっている時、広い目を持たせてくれます。
もちろん、木々や太陽からのパワーも。

今日は7時前に早めに仕事を終え、招待されていたピアノリサイタルへ母親を連れて行ってきました。

僕の好きなRachmaninov、Chopinの曲に加え、映画音楽のEnnio Morricone, NIno Rotaとどれもここ最近ピリピリしていた心情から解放される音楽が続きました。

ピアニストの方も努力家で、日本の感性を持ちながら今はローマでピアノを弾いておられる方です。
これは想像力や才能のあるなしとはまた別の話しで、
想像が限られた人だからこそ再現して真似る姿勢に忠実で。技術を身につけられ、心に情景を浮かばせてくれたのだと思います。

生まれ持つ才能を持つかは業種が違えどそれは一目でわかります。
才能とは違えどある一定のレベルまでは知識と技術で行き着く事ができます。

その一定のレベルまでしか行き着かない事をわかる人は役割を理解し、造り出す、表現する事を辞めた上で努力ができるのだと思います。
それが出来る人は基本があり、良いものに敬意が払える力を持った人だと思っています。

そのどちらも無い人は、何も物自体で価値を生み出す事ができず、コミュニティや情報に頼る、自分を見失った何でもよいただのビジネスにならざるをえません。

熊本でもまたこういう機会があれば少し時間を裂いても行ってみようと思います。

阿蘇方面ドライブと神社参りでリフレッシュしています。
6時で外に懐かしい音が流れだしました。

自然からエネルギーもらえる所が熊本にはたくさんあります。





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Boys group、聴くのはティーネージャーかゲイしかいないんだろうけど。
最近友達に笑われるの覚悟でよく聴いています。






6th form入るくらいの時期によく流れていて、耳に残っている音楽。
RELAX出来て何かしらの情景を思い出せる音楽。


みんなにも心に残る音はありますか?