日本史上最高の選手は誰か。これはいつ何時も必ず話題に上がり、決して答えの出ることがない問題だ。オリンピックで日本最高の成績を残した釜本邦茂、日本史上最高のカリスマ三浦知良、日本を初のW杯出場へと導いた男、中田英寿。所属チームを見れば、現在の長友佑都や香川真司が間違いなく最高だ。そんな彼らを代表で引っ張っている本田圭佑も候補の一人だろう。またポジションや見方を変えれば井原正巳らもその候補だろう。日本最高の選手は数多に候補が上がり、バロンドール賞でも取らない限り1人に決めることは困難だ。だがこれが、「日本史上最高の選手」から「日本史上最高の天才」となると候補は変わってくる。現時点で日本史上最高の天才。その第1候補は、現在オーストラリアでプレーする。静岡県沼津市に生を受けた日本稀代の天才、小野伸二だ。
小野伸二は、間違いなく誰もが認める史上稀に見る天才だ。10人兄弟の5番目、更に母子家庭で育った彼はお世辞にも裕福とは言えず、サッカー少年団にも加入していなかった。しかし彼が一人で練習している所を見た少年団の監督から「お金はいらないから是非入ってくれ」と勧誘される形で少年団に加入する。そこからはすぐに才能が開花。U‐16日本代表に選出されて以降、全ての世代別代表で中心選手として活躍し、更に1994年のU‐16アジアユース選手権で優勝。翌年のFIFAU‐17世界選手権にも出場を果たす。清水商業高校時代には全日本ユース選手権準優勝、インターハイベスト8、静岡選抜として出場した国体では2年連続の優勝。その全ての大会で中心としてプレーした。その後Jリーグ13のチームからオファーが来たものの、浦和レッズへと加入する。更にその年にアジアユース選手権で準優勝を果たし、自身もMVPを獲得。すると韓国とのワールドカップ共催記念試合で岡田監督に抜擢される形で、僅か18歳でA代表での初出場を果たした。更に同年フランスW杯にもサプライズ選出。第3戦ジャマイカ戦では日本史上最年少でのW杯出場も果たした。彼の勢いは留まることを知らず、同年にはJリーグで9得点を挙げ、新人王、更にルーキーにも関わらずJリーグベストイレブンも受賞。翌年にはFIFAワールドユースで、決勝スペイン戦には累積警告で出場が叶わなかったが、キャプテンとして準優勝に貢献。ここでもベストイレブンに選出された。
だが彼の快進撃も一先ずここまで。1999年7月に行われたシドニーオリンピックアジア地区1次予選フィリピン戦にて、彼の選手生命を揺るがす大怪我を負うこととなる。相手の悪質なタックルによる左膝靭帯断裂。これにより彼は今後のサッカー人生においても、慢性的な痛みや怪我を抱えることとなる。
しかし彼の才能は慢性的な怪我を差し引いても余あるレベルであった。コンフェデレーションズカップ2001で日本の準優勝に貢献すると、オランダの強豪フェイエノールトへ移籍。フェイエノールトではスターティングメンバーに定着をすると、日本人史上初となるUEFAカップ優勝を果たす。その後ビックタイトルの獲得こそなかったものの、当時小野伸二の指導者であったフェイエノールトの監督、後のオランダ代表監督でもあるファン・マルシクは「今の日本代表に第2の小野伸二はいない」「伸二は今まで一緒に働いた中で、1番良いプレーヤーだった」と評している。
彼のプレースタイルは至って天才的だ。彼ほど“テクニック”というものに秀でた選手を、世界を見渡しても私はあまり知らない。もちろん異論は多々あるだろうが、私は“繊細さ”の1点においては、小野伸二は世界でも稀に見る異彩だと考えている。柔と剛という言葉があるが、彼は圧倒的な柔だ。スピードが特別あるわけではない、フィジカルがあるわけではない。だが両足の精度が遜色なく高く、繊細なボールタッチ、ワンタッチで決定的なパスを出せる精度に視野の広さ。運動量は多くないが、決して持久力が低いわけではない。彼が中央にいるだけで、前線の選手は100%以上の力を発揮することができた。両足から繰り出される発想力抜群のパス、時折見せる意表を突くミドルレンジからのシュート、繊細なトラップからのドリブル。足元に入った際の彼の技術力は、努力ではどうにもならないような、正に天性のものが感じられた。
1979年9月27日。静岡県沼津市に生を受けた、サッカー王国静岡が生んだ最高傑作。オランダ代表の天才ウェズレイ・スナイデルをして、今まで対戦した中で最も上手いと思った選手の一人と評された男、日本史上最高の天才・小野伸二。確かに彼はその才能に本当に似合うだけの実績は残せていないのかもしれない。しかし、香川真司、本田圭佑、柿谷曜一朗ら歴代稀に見る才能が犇めく現日本代表をしても、彼ほど“天才”という名が似合う選手は未だ現れていない。