【潰えた才能】‐阿部祐大朗 | インテリスタのブログ

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 日本という国は優秀なMFを多く排出するが、DFとFWに至っては海外で活躍する選手は少ない。特にFWに関しては、活躍できずに出戻りする選手がほとんどだ。では日本史上最高のFWというものは誰か。当然本田圭佑や乾貴士のようなFW登録という選手は除外する。日本代表最多得点記録を誇る釜本邦茂、日本最高のカリスマ三浦知良、黄金世代の絶対的エースストライカー高原直泰、才能ということを考えれば森本貴幸も候補の一人だろう。しかしこの話題を考えるとき、私はどうしてももう1人の名が頭に浮かんでしまう。2011年に27歳の若さで現役を引退した選手。10年に1人の逸材と評され、将来を嘱望された男、阿部祐大朗だ。

 1984年生まれの阿部祐大朗は、今野泰幸や成岡翔、小林大悟、徳永修平らと同世代のエースFWだ。身長183cmと上背もあり、足元の技術も秀逸。懐の深さと足元の柔らかさを活かしたポストプレーを得意とし、得点感覚があるというよりはシュートセンスが優れる。AFCU‐20アジア選手権グループリーグのインド戦では、完全に倒れた体制から強烈なシュートを放ち、その才能の片鱗を見せつけた。得点数こそ特別多くはないが、間違いなく世界標準のFWだとこの当時は感じていた。

 桐蔭学園時代には1年時からレギュラーとして活躍し、3年時には横浜Fマリノスの特別指定選手としてJのピッチに立っている。中村俊輔にもその才能を認められていたが、彼が不運だったのは当時のマリノスが歴史に残るほど強かったことだろう。彼が加入した2002年当時、FWには日本代表クラスである久保竜彦と、韓国代表安貞桓が君臨していた。控えにも同期の坂田大輔が同時加入しており、スピード豊かな坂田の方がジョーカーとして重要視されていた。出番に恵まれなかった彼は、その後2005年にモンテディオ山形に移籍し、社会人サッカーチームのフェルヴォローザ石川・白山、徳島ヴォルティス、ガイナーレ鳥取と決して強豪ではないチームを渡り歩き、2011年ついにスパイクを脱いだ。

 10年に1人の逸材と評され、数々のメディアに将来の日本代表として取り上げられた天才的選手。本物の逸材であれば横浜でブレイクしていたはずだと言われればそれまでだが、私は阿部祐大朗という選手は高原に勝るとも劣らない才能を有していたFWだと今でも思っている。約10年前、日本のサッカーファンに期待され、結果として花が咲かなかった選手、阿部祐大朗。現在、彼の勇士が日本代表で見られていないことが残念でならない。