この記事は2008年に書いたものです。
明日は8月15日なので再度アップしました。
ここに一冊のボロボロになったノートがあります。
32年前に亡くなった祖父の日記帳です。
(母方の祖父ですから100%日本人です)
日付は、昭和21年(1946年)8月26日(月)
から始まります。
「博多ニ上陸ノ日ヲ持テ、新生のスタートス」
それは、終戦後1年余を経て、ようやく故国に
帰ってきた日から始まっていました。
祖父は、太平洋戦争開始時、日本郵船の社員として
ロサンゼルスに駐在していました。49歳でした。
当時の日本の貿易の最前線:上海、ニューヨーク、
サンフランシスコなどを転任してきたエリートでした。
日本が真珠湾を攻撃したニュースを聞いた時は、
悪い冗談かと思ったそうです。日米の国力の差を、
現場で目の当たりにして来たのですから、当然でしょう。
開戦後程なくして、祖父はFBIにスパイ容疑で逮捕され、
サンタフェの収容所に他の日本人や日系人達と共に
収容されます。
特に虐待などもなく、待遇も悪くなかったようですが、
「とにかく時間を持て余した」そうです。野球大会や
相撲大会が唯一の楽しみだったと聞きました。
そして翌年(1942年)8月、日米捕虜交換協定により、
アフリカ東海岸のロレンソ・マルケスで解放され、
やっと日本に戻ったのもつかの間。すぐに満州の
新京に駐在員として送られたのです。
そして、その地で終戦を迎えたのですが、
ソ連軍により軟禁状態となり、解放されたのは
1年後でした。
その間の苦しみと不安については、何度も語って
くれましたが、一番印象に残っているのは:
「昨日まで威張りくさっていた軍人たちには、心底呆れた。
何しろ、ソ連軍が攻めて来たら、真っ先に逃げて
しまったんだから。
国民を守る気なんか最初から少しもなかったんだよ」
と言う言葉。
祖父は、決して左翼思想の持ち主ではありません。
むしろ皇室を敬い、日本の伝統を愛する点においては
誰にも負けなかった人です。
しかし、軍人達に対しては厳しい目を向けていました。
「皇室の権威を利用し、日本の国を滅亡に追いやった」
と言う視点です。
戦後、連合軍総司令官マッカーサー元帥は、
吉田茂首相と会った時、こう話したと言います。
「自分は青年士官の頃、日露戦争に観戦武官として
従軍し、大山巌や児玉源太郎、乃木希典をはじめ
多くの日本の将軍達に会った。彼らにはそれぞれ
人物に風格があった。
そして今回40年ぶりに来日して、日本の将軍たちに
会ったが、とても同じ民族であると思えなかった」
私達はともすると、「戦前=軍国主義、戦後=民主主義」
と言うステレオタイプの視点に陥りがちですが、
軍国主義が台頭してきたのは五・一五事件や二・二六事件
以降です。
それ以前には、明治維新以来築き上げて来た魅力的な
文化も確かに存在していたのです。
その文化を破壊してしまった軍人達に対する祖父の憤りは、
戦争と言うものを身をもって体験しただけに、物凄い
説得力がありました。
「勇ましい事を言う人間を信用するな」
これは、祖父が残してくれた大切な教えです。
今の時代、戦争を直接体験した人たちは、もう僅かに
なってきました。
そのような人たちから聞いた話を、私達は大切に
残して行きたいと思います。
(原文を一部訂正・編集してあります)
photo 新生日記 表紙と文面
では、今週の予定をお知らせしましょう。
★8月15日(月)原宿占い館:タリム
11:00~20:00
http://www.uranai-tarim.jp/
ご予約お問い合わせは:
0334975825
★8月16日(火)原宿占い館:タリム
11:00~20:00
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オリンピック、選手たちの
純粋な表情に
ホッとするものを感じています。