その男㊺ | neppu.com

その男㊺

現地から、リアルな情報の到着だ。

 

クロスカントリー史に残る出来事だと思う。

 

オーベストドルフ世界選手権の50㎞、ゴールシーン。

 

クレボとボルシュノフの件だ。

 

現地はどういう見解なのかと気になっていた。

 

そこで、ノルウェーに住み、リレハンメルのワールドカップには応援に駆けつけてくれた、「その男」の知人、内林さんに聞いてみた。

 

内林さんの知人のノルウェー人に聞いてみたところ、

 

 

「50㎞走って、ラストで失格は残念だけど、クレボはまたいつか優勝するから大丈夫」

 

 

失格の基準や、妨害という行為に関しても、微妙だと思っているらしい。

 

直線に入る前はボルシュノフがトップで、あのシーンがなければポールが折れることもなかったという状況も含め、クレボが訴えを取り下げたことにはほとんどのノルウェー人が良かったと思っているように、話を聞いていると感じるそうだ。

 

これは一般人から聞いたため、スキー関係者の反応は違うのかもしれないといっているが、一般人の意見はまた今度優勝できるから大丈夫だよねくらいの感じらしい。

 

あのシーンをすんなり受け入れ、むしろ将来に期待してしまうノルウェーの一般人の意見。

 

やはりノルウェーは「スキー王国」だ

 

 

 

違和感を感じた。

 

自分自身の姿に。

 

 

「ワールドカップ開幕戦、ルカ」

 

 

を画面越しに見ている自分の姿に。

 

 

「本当にワールドカップやってるんだ・・・」

 

 

違和感を感じたのは、画面越しに見ている自分の姿だけではない。

 

どこか他人事のようにそのレースを見ていることにもだ。

 

 

「うわークレボやべぇな」

 

「ボルシュノフ速いなぁやっぱり」

 

 

久しぶりに見る世界最高峰の戦いに興奮をした。

 

しかし、あまり悔しさを感じていなかった。

 

以前ならそんなことはなかったはずだ。

 

 

今、「その男」は文章を書きながらこう思ったようだ。

 

「そういえば最近、レース後に泣くことが減ったな」

 

と。

 

メンタルが強くなったわけではないのに。

 

ドライな男になったわけでもないのに。

 

そういうことだ。

 

 

「一喜一憂しないで、次を見ます!」

 

 

誰よりも感情の波が激しかったのはそう言っている「その男」だ。

 

スキーでのスピード練習。

 

蛯名との差が開いたときには安心した。

 

逆に負けるときには落ち込んだ、不安になった。

 

 

ベーストレーニング。

 

数キロの周回となている旭岳のコースだが、蛯名やマサトと周回ごとにすれ違うところを確認していた。

 

 

「さっきよりも近くですれ違ってる、いいぞ。」

 

 

「さっきよりも離れたな・・・走りが悪いのか」

 

 

そんなことにさえ反応してしまっていたのだ。

 

 

その時の、「その男」のブログには

 

「相変わらずゆーっくり、じーっくりと乗っています」

 

なんて書いていたのではないだろうか。

 

強く「見える」選手を演じるために。

 

現実は

 

相変わらずスキーを滑らすことができていなかった。

 

スキーを利用することができていなかった。

 

ただスキーの上に乗っているだけだった。

 

 

合宿先は、旭岳から白金へ。

 

宿泊先の食事が立派だった。

 

「こんなに食べていいんですか?最高じゃないですか!」

 

何が最高なんだろう。

 

この時期に「日本」で食べる豪華な食事を食べることが。

 

 

「マズイなぁ今日も。またパスタか。野菜はパサパサだし。何も食べるもんないぞ!」

 

 

そう言いながら、ワールドカップ会場のルカで食べる食事のほうがよほど最高ではないだろうか。

 

 

白金から白滝へ。

 

大会に参加する予定だったが、中止となってしまった。

 

その変わりに、数名でタイムレースを行った。

 

ひとつ前にスタートした蛯名がぶっちぎって優勝。

 

「その男」は確か5位くらいだった気がする。

 

2分は遅れていた。

 

何人か前にスタートした選手を最後の周に抜かしたが、最後までついて来られた。

 

以前であればその選手は、すぐに離れていただろう、遥か遠くに。

 

ゴール後は相変わらずヘラヘラ。

 

「いやー、キッツいですね!最後の周はやばかったですよ、蛯名は前から消えるし!」

 

だが以前よりもヘラヘラするまでに要する時間はかかっていた。

 

落ち込むことが増え、ヘラヘラモードに切り替えるのに時間がかかるようになっていた。

 

 

スケーティングもトップだったマサトから何分も遅れた。

 

順位も何分遅れたかも記憶にない。

 

覚えているのは

 

「マサトってこんなに速かったっけ?」

 

と思ったことだ。

 

あとは、

 

「早く家に帰りたい」

 

のようだ。

 

この家に帰りたいという考えに、家族に会いたいという意味合いはさほど強くなかったと思う。

 

 

このシーズンの公式戦初戦は名寄大会。

 

例年より一カ月以上遅れての初戦だ。

 

これも運命のいたずらなのか?

 

「その男」の一つ前スタートが馬場。

 

 

「やめてくれ、なんであいつの近くで走らなければならないんだ。くらべられるだろ。俺の走りの悪さがはっきりするだろ」

 

 

変わらないネガティブ。

 

案の定だ。

 

スタートした直後は15秒前(スタートのタイム差)にいた馬場は、長い上りが終わる2㎞ほどの地点ですでに見えなくなっていた。

 

会場の大きなグラウンドで彼の姿を見た時にはすでにコースの反対側にいて、軽快に会場を出ていくところだった。

 

結果は5位だったはずだ。

 

白滝でのタイムレースがひどすぎたせいだろうか。

 

 

「よし、思ったよりも悪くなかったぞ」

 

 

と思っていたのは。

 

 

「その男」には、明確なリミットがあった。

 

1月下旬までにしっかり走れなければいけないと。

 

「まだ一カ月ある、大丈夫だ」

 

そう考えていたようだ。

 

「まだ」一カ月なのか。

 

「もう」一カ月なのか。

 

「もう」と思わない「その男」は少し楽観的だったのかもしれない。

 

もっと集中しろ。

 

 

名寄のレースが終わってからは、「その男」の地元で合宿をした。

 

大会は中止になってしまったが、札幌に帰っても練習をするには雪が足りないからだ。

 

ここでも大会の変わりにタイムレースをした。

 

 

クラシカル。

 

後ろから来た2選手に早々に抜かれた。

 

この日はいつかの全日本選手権のように、猛烈な雪。

 

その後のレースもいつかの全日本選手権のような展開。

 

ずっと後ろをついていって、そのままゴール。

 

あれだけ雪が降れば後ろにいるとなかなか離れない。

 

前の選手がダブルポールで必死に押している時に、後ろでクローチングを組んでいたくらいだ。

 

 

それでも

 

「最後までついていくことができた」

 

ということに安堵した。

 

翌日のスケーティング。

 

後ろから来た選手にまた抜かれた。

 

5㎞もしないで。

 

昨日のクラシカルで抜かれた2選手と比べると、実力は劣るその選手。

 

ついていくことができなかった。

 

「あれ、こいつってこんなに速いっけ?」

 

離れ始める時に思った。

 

ちがう、自分が遅いんだ。

 

速く動こうとすればするほど、強く押そうとすればするほど、体が遅れる。

 

最終的には練習ペースと同じようなスピードになっていた。

 

 

ゴール後。

 

ワックスマンが待ってくれていた。

 

「どうだったスキー?ごめんな、良くなかったしょ」

 

「その男」の結果を見てスキーが悪かったと判断したのだと思う。

 

それは違う。

 

全く違うんだ。

 

直視できなかった。

 

申し訳なくて。

 

ワックスマンが朝早くから会場入りして仕上げてくれたスキーを、気持ちの入っていない選手が使用していたことが。