その男㉕
新記録達成だ。
一日で四度の更新。
実は、前回の記事でも記録を更新していたことも、一つある。
文字数だ。
余白なども含めてだが、文字数がアップできる上限を超えたため、文章を消去しなければならなかった。
時間が現在に追いついて来るにつれ、記憶も鮮明になってきている。
そのため、書くことが増えたのだろう。
「その男」の振り返りは、2014年まで来た。
現在に追いつくまで残り7年。
「その男」のホテルでの生活は残り5日。
残りのホテル生活は、時間に追われることになりそうだ・・・
ツールドスキーが終わり、「その男」は帰国をした。
悔しさしか残らない遠征が終わった。
だが、落ち込んでいる暇はない。
ツールドスキーの最終レース終了後、車に向かうときに山口さんが言った一言。
「まだだ、オリンピック前最後のワールドカップが残ってる」
「その男」は勘違いしていた。
ツールドスキーが、オリンピック出場をかけた最後のレースだと。
オリンピック直前に、イタリアのトブラで15㎞クラシカルが行われることになっていたが、そこまで選考レース対象となるようだった。
日本に帰国をしてから、一週間ほどして再度出国をすることとなった。
わずかな日本滞在間も、練習に集中した。
オリンピックの事は考えずに、トブラのワールドカップに集中した。
最終選考レース。
レース中の事はあまり覚えていない。
覚えているのはゴール後の出来事。
ゴールをした段階の順位、タイム差では、12位以内は絶望的だった。
悔しくて、叫ばずにはいられなかった。
周りに聞こえないように、手袋を口に入れて叫んだ。
その様子を見たチェコのレジェンド、ルーカス・バウアーが肩をたたいて、
「落ち着け、大丈夫だ。いい走りだったぞ。」
と励ましてくれた。
スキーが世界トップクラスなら、優しさも世界トップクラスだ。
ここで一つ訂正しなければならないことがあるようだ。
15㎞クラシカル、インディビジュアルスタートでは、このシーズンのリレハンメル以来ワールドカップポイントを獲得してないと前回書いた。
しかし確認をしたところ、このトブラのワールドカップで30位に入っていたようだ。
このレースは31位だったと記憶していた「その男」
おかしい。
なぜかと思い、リザルトを細かくチェックした。
理由が分かった。
「オーストリア選手のドーピング違反による繰り上げ」
のためだった。
正々堂々と戦いたい、戦ってもらいたい。
オリンピックに向けた挑戦が終わった。
「個人戦出場」
に向けての挑戦がだ。
このシーズンの夏にオリンピック派遣標準が発表されたとき、リレーの派遣標準も明示されていた。
ワールドカップ(世界選手権)で8位以内。
前シーズンに行われた世界選手権で、日本チームは8位に入っていた。
そのため、オリンピック派遣標準をクリアしていたのだ。
2006年トリノオリンピック
FISレースの段階で、選考から早々に脱落した。
2010年バンクーバーオリンピック
ワールドカップ組まで上がることができた。
国内の参考レースで優勝したものの、あと一歩で出場を逃した。
2010年ソチオリンピック
団体種目での出場が決定した。
しかし、個人種目でも出場を目指していた「その男」の心境は複雑だったようだが。
オリンピックは現地に行く前から特別だった。
五輪マークの付いたウェアが支給される。
スーツが支給される。
レーススーツも、ワールドカップモデルから、オリンピック仕様に変更される。
携帯電話まで支給された。
初めてのオリンピックは全く知らないことだらけだった。
現地に入り選手村に入ってからもワールドカップで宿泊する施設との違いに驚いた。
食事はいつでも食べられる。
世界各国から選手が参加するため、各地方に合わせた食事を選ぶことができるバイキングスタイル。
コーラのキーホルダーを自動販売機にかざすと、お金を入れなくても飲み物が出てくる。
床屋もある。
クリーニング屋もある。
なんだこれ?
文字通り、一つの小さな村のようだった。
現地に入ってから、リレーに出場するまでの数日間は、精神的につらい時があったのを覚えている。
選手村からすぐそこの会場でレースは行われていた。
しかし、レースが行われている時に「その男」がいたのは部屋の中。
個人戦出場権のない「その男」は、部屋のテレビでそれを観戦することしかできない。
もどかしかった。
このオリンピックにリレーメンバーとして選出されたのは、前シーズンの世界選手権でリレーを走った四人。
そして、個人戦とチームスプリントで権利を獲得した恩田さんだ。
このシーズン、ワールドカップを転戦した5人が、そのままオリンピックの舞台へ立った。
もどかしい時もあったが、「その男」の出番もついに来た。
結果を先に書いておきたい。
周回遅れ。
その当時の事を思い出しながら、ブログを更新している「その男」
「周回遅れ」という言葉を打ってから、次の文章になかなか進めなかったようだ。
文章を書き進めると断片的、しかし鮮明な記憶がよみがえってくる。
「その男」にはゲン担ぎのようなことがあった。
「その男」にとって最も印象に残っているレース、全国中学3年生のスケーティング優勝。
そのレースで初めて身に着けたもの。
それがハチマキだ。
このハチマキを付けて、レースに挑むことが、「その男」にとってのゲン担ぎのようなものだ。
全国中学で高橋から借りたそのハチマキ。
高校に進学すると、高橋はスキーをやめて陸上に専念した。
夏は高橋がハチマキを付けていた。
しかし、「その男」にとって、そのハチマキはゲン担ぎだったので、冬になると高橋からハチマキを借りて、レースに挑んだ。
高校生の時はそれを繰り返していたが、いつの間にか高橋からそのハチマキを受け継いだ。
社会人になってからも、ゲン担ぎを信じる「その男」は、ワールドカップや世界選手権といった国際大会の時にはいつもそれを付けていた。
しかしこのオリンピック。
緊張していたのだろうか?
部屋にそのハチマキを忘れてしまった。
それがレースに影響したかと言えば、そうではないかもしれない。
しかし、いつものリズムではなかったことは確かだ。
ゲン担ぎをできなかったことは確かだ。
1走の宮沢が遅れた。
スタート後から集団の後ろにいたが、世界選手権の時のように粘って集団で来ると思っていた。
しかし、今回は違った。
そのままズルズルと遅れていった。
2走の「その男」にバトンが渡った。
全くリズムに乗れていない。
さっきまで前にいたはずの選手が、周回を追うごとに小さくなっていく。
すれ違う場所がどんどん遠くなっていく。
いいところがなかった。
3走の成瀬さんにタッチ。
「憧れのライバル」
このレースが、成瀬さんと走る最後のレースとなるということはわかっていた。
花道を飾りたかったが、まったく予想もできない位置でのバトンタッチとなってしまった。
同様に成瀬さんもリズムに乗ることができなかった。
走り終えた「その男」は着替えてコースに応援へ向かった。
アンカーのレンティングがなかなか来ない。
少し離れたところにファビオがいた。
状況を聞いてみる。
衝撃の一言が帰ってきた。
「Over lap」
「周回遅れ」
だ。
周回遅れによる、出走停止。
アンカーのレンティングはオリンピックの舞台を走ることができなかった。
「周回遅れ?嘘だろ?」
言っている意味が分からなかった。
混乱した。
気がおかしくなりそうだった。
いや、気がおかしくなった。
「こんなにも自分の実力のなさを恨んだ日はない」
「その男」が新聞記者に言った言葉だ。
「憧れのライバル」と一緒にするスキーがこんな形で終わってしまったのだ。
レンティングを走らせることもできずに、終わってしまったのだ。
「その男」が挽回していれば、宮沢を悲しませることもなかったはずだ。
リレーが終わってからは絶望的な時間が過ぎていた。
携帯を見るのも怖かった。
食事に行ってたまたま恩田さんと会った時、何も言わずに肩をたたいて励ましてくれた。
嬉しかった。
しかし、それさえも苦しかった。
リレーが終わってから、レンティングとは会えていなかった。
すぐに謝りたかった。
しかし、彼の姿がどこにも見えない。
宿に戻ってもいない。
しばらくしてから、外で彼にあった。
練習の格好をしていた。
「何やってたの?」
と聞いたところ驚く答えが返ってきた。
「いや、今日走れなかったですし、この後のワールドカップもあるんで練習してきました」
この男は本当に強い。
「その男」がもし時間を戻すことができるなら、この日の朝まで時間を戻すだろう。
振り返って改めて気持ちが強くなった。
もう一度宮沢、「その男」、成瀬さん、レンティングの四人でリレーが走りたい。
気が狂ってしまうほどの強烈な印象を残し、「その男」の初めてのオリンピックは終わった。
イメージしていたものとは、残酷なまでに違った形で。