その男⑫ | neppu.com

その男⑫

正直焦っている。

 

 

その男は二週間あれば余裕で振り返ることができると思っていた、その男の過去を。

 

しかし、見積もりが余った。

 

このペースでその男が大切にするブログにアップを続けていては、何もしなくて良いホテル生活での二週間では完結しないように思える。

 

それだけはまずい。

 

日によっては、一日三回アップをする必要がありそうだ。

 

まだ中盤戦にすら差し掛かっていない、その男の回顧録。

 

それにもかかわらず、内容がどんどん薄っぺらくなっていっているように思える。

 

それが、この先更新頻度を増やさなければならないとなると・・・

 

自己防衛のために、あらかじめ宣言しておくその男。

 

 

相変わらず卑怯者だな、その男よ。

 

 

 

 

「中央大学」

 

 

 

その男が選択した大学だ。

 

卒業後は北海道へ戻ることになるその男だが、北海道支部OB会に参加した際、その男が大学に入るきっかけにもなった大先輩OBが言っていた

 

 

「中央大学は質実剛健だからな」

 

 

その男は、その言葉をえらく気に入っているようだ。

 

飾り気なく真面目に、強くたくましく。

 

そんな選手になりたかったんだろう、その男は。

 

 

中央大学のような選手に。

 

 

 

 

戸惑った。

 

18年間、その男の生まれた村で育ったその男。

 

もちろん実家暮らしで、一人暮らしすらしたことがなかった。

 

それがいきなり東京の大学へ行くこととなった。

 

北海道一人口が少ない村から、日本の首都東京へ。

 

 

「八王子は田舎だから、大丈夫だろ」

 

 

在学中何度も言われたが、その男にとっては八王子でさえ大都会。

 

特急列車?急行列車に乗り換え?

 

えっ、特急列車って特急料金払わないの?

 

電車にすらまともに乗れないその男。

 

京王八王子・・・JR八王子・・何が違うんだ・・・

 

路線の違いすら分からない。

 

生粋の田舎者なのだ、その男は。

 

 

練習だってそうだ。

 

当たり前に毎日乗っていたローラースキー。

 

しかし、東京では早朝に河川敷でしか乗れない。

 

苦情が来るため、人が少ない時間帯にやらなければいけなかったようだ。

 

ランニングをするにも、山の中を毎日走っていたのが、アスファルトの上をひたすら走るのみ。

 

近くに不整地を走れる場所はあったものの、山というよりは丘。

 

満足いくものではなかった。

 

 

それに加えて暑さもあった。

 

レベルが違う。

 

同じ30度でも湿度が全く別物なので、気温以上に暑く感じる

 

涼しい北海道でしか過ごしたことのないその男にとって、真夏の東京は地獄だったようだ。

 

 

もちろん、人の多さも。

 

千人にも満たない、その男が住んでいた村。

 

大学の生徒数だけで村の人口を上回っている。

 

一学年だけでも上回っていたのでは?

 

どこに行っても人、人、人。

 

何をするにしても今までその男が過ごしてきたことと違い、とにかく戸惑った。

 

 

だが

 

 

やるしかない。

 

その男が大学生になったその年。

 

 

トリノオリンピックが開催される年だ。

 

 

その男のカテゴリーはまだジュニアだった。

 

しかし、前年度の世界ジュニアでの実績が認められてか、シニアの選手と一緒に海外で開催されるレースに派遣された。

 

まずはフィンランド、スウェーデンで開催されるFISレースに参加をする。

 

四レースに参戦し、その成績によりワールドカップへ格上げ。

 

ワールドカップで良い成績を残すことができれば、オリンピックへの道が開かれる。

 

海外のFISレースではあるが、オリンピック出場に向けては、敵は日本人となる。

 

その男は昨年、世界ジュニアへ行く前に日本で行われたFISレースで、シニア選手を抑えて優勝しており、引けを取っていなかった。

 

ある程度いけると思っていたようだ。

 

 

しかし

 

 

散々だった。

 

いざレースが始まると、まったく走れない。

 

日本人選手の中でも後ろから三~四番目のレースが続いた。

 

そんな成績では、もちろんワールドカップ組に格上げされるわけがない。

その時、FISレース組からワールドカップ組に格上げされた選手が

 

 

「成瀬さん」

 

だ。

 

その男が高校一年生の時の最強高校生。

 

その後、力をつけたその男は、大学生になった成瀬さんに負けず劣らずの成績を残していた。

 

その男が高校三年生になったときには、むしろその男のほうが成瀬さんよりも良い成績を残すことが多かったようにも思える。

 

しかし、このシーズンは全く別だった。

 

まったく走れないその男。

 

ワールドカップ組に格上げされ、後にトリノオリンピックに日本代表として出場することとなる成瀬さん。

 

FISレース終了後、その男はワールドカップ組へ合流できていなかったので、そのままフィンランド国内のヴォカティに残り数日練習していた。

 

その間、成瀬さんはワールドカップ参戦のため、同じくフィンランド国内のクーサモへ。

 

当日はその男も応援へ駆けつけた。

 

かっこよかったなぁ。

 

 

ヴォカティで練習しているその男は、珍しく落ち込んでいたようだ。

 

目標としていたオリンピックに出場できないと、その段階で決まってしまっていたからだ。

 

自分の走りをすることができないからだ。

 

数日後、ワールドカップを終え、ヴォカティに戻ってきた成瀬さん。

 

その時に落ち込んでいたその男は、成瀬さんからかけてもらった言葉が忘れられない。

 

 

「これからもいいライバルでいような」

 

 

片やFISレースでまったく走ることができず、居残り練習を命ぜられたその男。

 

片やワールドカップ組に格上げとなり、後にオリンピックに出場する成瀬さん。

 

雲泥の差だ。

 

それでもその男の事を、

 

 

「ライバル」

 

 

と言ってくれることが本当にうれしかったようだ。

 

その日からその男にとって、成瀬さんはソチオリンピックで引退するまでライバルだった。

 

あの時のその言葉に救われたその男。

 

今でも心から成瀬さんに感謝しているようだ。