その男③
「まだ計測していることにびっくりです笑」
そう返信が来て、はっとした。自分でもびっくりした。
ホテルでの生活三日目
いつものように、毎日の体重計測を欠かしていない。
完全に生活の一部になっている。
朝起きてトイレに行くと、そのまま体重計に乗るのがその男の習慣だ。
この生活になっても、いつものように体重計は設置され、自然とそこに体を預けている。
ちなみにだ。
このホテル生活前、最後の体重測定をしたときは71.3㎏。
これは意図的に増やした結果だが、通常は大体70.2㎏~70.5㎏を推移していた。
今朝の体重はというと。
68.8㎏。
ホテルの一室で引きこもり、ここ三日間でやった運動は、腕立て伏せを50回程度。
いまいちやる気がでなかったため、すぐにやめた。
ほとんど動いてすらいないのに、体重が一方的に減っていく。
隔離生活中の弁当はどうやらその男にとって決して満たされる内容ではないようだ。
早くその男の嫁が作った温かいご飯が食べたいようだ。
鳥の照り焼き、唐揚げ、生春巻き、レンコンのピリ辛炒め。。。
想像するだけで空腹が加速する。
地方大会最下位からスタートしたその男。
小学生高学年となると、入賞するポジションまでは上り詰めていた。
しかし、クロスカントリーのポジションは依然と変わらず、夏の野球のために体づくりのスキー。むしろその比重は夏に傾いていた。
小学校6年生の夏、野球で北海道大会三位。
その男にとって、その成績は今でも誇らしいようだ。
田舎からでてきたよくわからない少年団が、全道の強豪を相手に引けをとらず戦った。
そのチームのキャプテンがその男だったのだ。
当時はどうだかわからないが、現在は北海道で人口が最も少ない、その男が住んでいた村。
現在の小学校は野球をするのに必要な9人にすら、一学年で達さない学年もあるはずだ。
だが、当時は野球少年団に20人以上が所属し、連日練習をした。
スポーツと言えば野球。
その男にとってそれだけ野球に熱中していた。
さて、スキーはというと・・・
小学生高学年になると、当時世代最強の男が現れる。
「金子イッセイ」
「野口健太」
に変わる男。
「ヒロキ」
という男だ。
「連戦連勝」
しかも、ただの勝ち方ではない。
ぶっちぎって勝つのだ。
ひとりだけ次元が違う。
強かったのは彼だけでない。
彼の所属する少年団が強かったのだ。
5年生、6年生のどちらかは忘れてしまったが、ヒロキ、ショウヘイ、武藤と、同じチームに所属する3人が表彰台を独占したレースがある。
強さへのあこがれだろう。これもはっきりと覚えている。
その男が所属するチームには、その男も含めて同学年は4人スキーをしていた。
「あっちが表彰台独占なら、こっちは1位~4位だ!」
と、イキがるその男。
そんなことを言っていたのはおそらくその男だけだろうが。
しかし、ヒロキとの差は広がるばかり。
前記したように、その男は野球のためにスキーをやっていたに過ぎなかったので、当然と言えば当然かもしれない。
小学生最後の大会。
その男が住む村では、3月下旬に毎年大会が開催される。
北海道でクロカンをやってる小学生であれば、一度は参加したことがあるだろうこの大会。
村の人口から考えると、相当大きな規模の大会だ。
もちろんこのレースにもヒロキは参加している。
小学校最後のレース、結果は2位。
また負けた。
ヒロキに。
小学生最後のレース、ヒロキに勝ちたいと思っていた。
悔しかった。
悔しかった?
野球の全道大会、負けた時は悔しくて泣きまくった。
スキーの地方大会、優勝できなくてもなんとも思っていなかったように思える。
だが、小学生最後のレースでヒロキに負けた時は優勝したかったなと悔しがっていた。
自分が記憶している、スキーのレースで悔しいという感情を抱いたのは、これが最古だ。
小学生低学年で感じた
「強さへの憧れ」
小学生高学年で感じた
「負けることの悔しさ」
また一つ、将来の財産を増やし、その男は小学校を卒業した。
小学生の頃は2学年ごとに距離が分かれているということは前記した。
よって、1学年違う選手とも、同じ距離を走っていた。
中学生となると、カテゴリー分けはない。
3学年とも同じ距離、同じカテゴリーでのレースとなる。
ということは。
小学生の時には同じカテゴリーになることのなかった彼とも争うこととなる。
「お兄の真似をしてスキーを始めた」
そう、スキーを始めるきっかけともなった、2歳年上のお兄とも同じカテゴリーで戦うのだ。