発表
長くなります。
そして、文章がいつも以上にめちゃめちゃです。
もう一度言っておきます、いつも以上にめちゃめちゃです(笑)
それでも読む時間がある方は、ご一読ください!
本日、全日本スキー連盟から平昌オリンピック代表の最終発表がありました。
12月下旬、1月中旬、そして今日の三回に分けられて発表があり、SAJからの派遣は全選手が確定したようです。
クロカンでは、12月下旬に僕が、1月中旬に石田さんが発表となりました。
今日の最終発表まで何があるかわからないと思い、このブログでは触れていませんでしたが、今日で確定してしまったので書こうと思います。
平昌オリンピックはリレーでの派遣はありません。
リレーの派遣標準は、個人派遣標準を突破している選手(僕、石田さん)を除き、2017年内のワールドカップで
30位以内に2選手
40位以内に1選手
が入ることでした。
結果としてこの基準をクリアできたのは、30位以内にはいった宮沢1人でした。
チームとして基準をクリアできず、派遣は絶望的というのは1ピリが終わった段階で理解していましたが、いざ現実となると空虚感を感じています。
今回のオリンピックの出場権を獲得するために、ワールドカップが始まる前から選考は始まっていました。
ナショナルチームではない選手は、FISレースに参加をし、まずはそこでワールドカップの出場権を獲得する。
その後、ワールドカップでリレー、個人の派遣標準を突破し、オリンピックに出場をする。
ナショナルチームの選手はワールドカップからの参戦でしたが、それ以外の選手はすべてを自分で手配をして、FISレースからの参戦でした。
飛行機の手配、宿の手配、国内の移動手配、ワックスルームの手配・・・
僕が想像できないようなところまで、色々とやっていたと思います。
もちろん連盟からの負担などは一切なく、すべてが自己負担です。
たくさんの資金と時間を必要としていたはずです。
そうしてでもオリンピックに出場したいと強く思う選手たちが、11月から戦い続けました。
結果としてFISレースからワールドカップの出場権を獲得したのは、蛯名、カイチくん、陽、そしてU-23カテゴリーとしてナショナルチームの指定を受けている4選手、計7選手でした。
ワールドカップが始まっても、もちろん戦いは続きます。
ワールドカップに出場ができても、派遣標準の最低ラインである40位以内に入れそうかどうかをコーチが見極め、そうでなければ帰国をしなければならないという流れでした。
その結果、ルカのワールドカップのみの参戦で帰国をしなければならなくなった蛯名。
ルカ、リレハンメルのワールドカップ参戦で帰国をしなければならなくなったカイチ君。
1ピリ最終レースのトブラまでオリンピック出場権を目指し、日本を代表して戦い続けたのは、宮沢、陽、ファーイーストチャンピオンとしてナショナルチームと動いていたノブヒト、そしてダボスから合流した馬場と宇田でした。
残念ながら派遣はされませんが、出場を目指してレースに参加した全選手がオリンピックのために一瞬も気を抜くことなく、全力で戦ったと思います。
ここでは男子の話が中心となってしまっていますが、もちろん女子選手もです。
このブログを読んでくださっている多くの方は、ソチオリンピックでのリレーの結果はご存知かと思います。
周回遅れの最下位です。
4走が走ることなく、日本チームのリレーは終了しました。
2走を走り終えた僕の段階で、すでにトップとは大差。
着替えを終え、会場へ応援に行ったものの、なかなか現れない日本チーム。
向かいから歩いてくるファビオに、
「Over lap」
と告げられた時は、何を言っているのか理解ができませんでした。
僕はリレーが始まる前までの写真は、持っています。
ですが、競技が終わってからの写真は持っていません。
レース直後の写真などもってのほかです。
僕がソチオリンピックで最も印象に残っている写真は、成瀬さんが座り込み、陽が歩いてタッチゾーンから戻ろうとしている姿です。
昨年の秋に、新聞記者の方に取材をしていただいたときに、リレーについて聞かれ、
「ゴールをして4人そろって写真を撮りたい。4年前はそれすらできなかった」
ということを伝えました(もちろんゴールをすることが目標という意味ではありません)
今シーズン、ワールドカップのレースが終わってから、タイミングが合えば出場した選手で写真を撮るようにしました。
オリンピックにリレーで派遣されても人数の関係上、ワールドカップに出場した全員が派遣をされるわけではありませんからね。
一緒にオリンピック出場を目指したことを形で残せておければと・・・
ソチオリンピックのリレー終了後に、成瀬さんから
「4年後のオリンピックは頼む」
と託され、
「ソチオリンピックのリレーをネタにできるくらい、平昌ではよい成績を出してくれ、お前らならできる」
と恩田さんに託され、4年間チーム引っ張ぱっていくと改めて心に決めました。
その思いを達成することができません。
もう一度宮沢、陽とリレーを走り、ソチのリレーも含めたゴールを切りたかった。
それも達成することができません。
チームとしての出場はありませんが、幸い僕には個人での出場が残されています。
このブログでは使わないようにしている言葉ですが、あえてその言葉を使い決意を新たにしたいと思います。
オリンピック出場を目指し全力で取り組んできた選手の思いを胸に、それらの選手を代表して「頑張りたい」と思います。
、、、、、、と、ちょっと固くる~しく書いていました!
このブログらしくないので、やっぱりいつも通りで!!
あとは石さんと俺に任せなされ!!
余すことなく全部出し切ってくる!
それは、俺の力も、君の力も含めてすべてじゃい!!
俺はやるぞ!!!!
俺は戦うぞ!!!!
あぁ~思っていることをうまく文字にすることができなくて、書き終わるのに1時間半もかかったぜ~!!
余裕の最長記録!
文才が足りないぜ~
そんな僕ですが、高校1年生の時に、
「スポーツの良さを伝えるために、新聞記者になりたい!」
と、ほざいていました笑
あれから約15年、スポーツの良さを文章ではなく、身をもって伝える側にいるなんて、当時の僕は思ってもいなかったですな!
最後に・・・・
今回の記事は捉え方によっては、リレーに出場できないのは僕以外の3選手が派遣標準を切れなかったからという風に感じてしまう方もいるかもしれません。
僕が今回の記事で言いたいことはそういうことではありません。
オリンピック出場を目指すにあたり、色々な選手が様々な苦労をしていること、全力を尽くしているということを知ってもらいと思ったからです。
また、文字にすることによって、オリンピックへの自分自身の決意を改めて確認したいと思ったからです。
引き続き、応援よろしくお願いします!!!