どうもこんにちは。
んーだんだん日常ネタが尽きてきました
今日はいきなり続きから。
学校に行きたくない、という息子の気持ちを汲み取り休ませることにしたのですが。
さぁ、どういうふうに伝える?
体調が悪いので、だといつ治るんですか?から何から担任からの接触が出てくる。
しかも、アンタのせいで!と思っている所に電話がかかってくる煩わしさに加えて息子に接触を図るかも。
と、思うと最初に一発ガツンと言っといたほうが、息子の心も穏やかに過ごせるなー。
という事で、欠席連絡(専用メールがあります)に
今日からしばらく休ませていただきます。登校できるようになりましたらこちらからご連絡差し上げますので、学校側からの接触、連絡はご容赦下さい
というような内容を送っておきました。
文体は丁寧にしておきましたが、理解できる人がちゃんと理解してくれれば
こっちから連絡するまで余計な事すんなよ!
という意図が伝わるはず。
とりあえずこれで、電話がかかってきて担任の声が漏れ聞こえて体調悪くなる、は避けられるかな、と。
ところがどっこい、担任は理解できてなかったらしい
こんなメール届いてるんですけど、連絡しなくていいですよねぇ?
と教頭に???だらけで聞いてきたそうな。
教頭は正しく理解したみたいで、自分預かりにするから何もしなくていいよーと言ったとのこと。
そして授業に送り出した後、慌ててこちらに連絡してきたらしい。
そこで、今までの経緯とカッとなって突き飛ばされることがどれだけ危ないか、心の傷も辛いけどそのカッとなったがいつ大怪我に繋がるかわかったもんじゃない。
という事を伝えてとりあえず行きません、と伝えました。
担任は50代半ばの女性で、身長160センチ以上のしっかりした体格の持ち主です。
対してうちの子は、当時125センチあったかな?体重はやっと25キロ台になりました!という縦も横も大きいとは言えない子で。
ズンもドンも怪我させない(バレない)ラインを狙ってると本人が思っていても、怒りを抑えられないからやらかすわけで。そのうち力加減にまで気を配れないくらいカッとするかもしれないわけですよね。
怪我させられる前に逃げるはおかしな事じゃないと思うんですよ。
で、ここで校長からも電話。
どうにかこうにか登校するための方法はないかとやいやい言われます。
先生が休んでくれたら行きますよ?
と言ったら無言で、じゃあ校長室に登校は?と言われても、小2程度の勉強内容なら自宅学習で賄える範囲。学校に行くのは他者との関わりを学ぶためなのに担任を避けるなら、他の子供とも一切接触できない。その上担任からの接触が絶対ないと言い切れない。そんな登校に意味が見いだせなというとこれまた無言。
そのまま休ませることになったのでした。
さて、なぜこれほどまでに学校側が登校に拘るのか。
答え:30日を超えると不登校扱いになるから。
教育委員会か文科省か忘れたけど、届出義務があるとか聞いたんですが、ソースが見つからない
とにかく、現場的には既定日数を超えたらチェックが入るのが困るらしく、どうすれば来られるか?を詰められましたよ。
ただ、こちらからの提案は全て却下。ご自分たちの事情を押してこられるので交渉決裂となりました。
そこから結局2年生終了時まで登校を拒否し、3年生を迎えたのでした。
新学期からは関わらないようにして欲しい、というのはなかなか確約してもらえませんでした。
そう。以前sちゃんママや私に検討していますと言われたのはやります、ではなくあくまでも考えときます程度の意味合いだったみたいで。
いわゆる前向きに検討しますってやつですよ。
保護者の言うこといちいち聞いてたら学校運営なんてできませんからねぇ
というのが隠しきれない口調でした。
詳細を説明しても、複数の保護者からクレームが来ても終始こんな感じ。
水面下では他学年の担任になると決まっていたかもしれませんが、木で鼻を括るとはこのことか!
という感じで、確約はできません!の一点張りでした。
ちなみに3年生のクラスと関わらない学年に、という話は2月中頃までしていて、その時に意訳すると
学校運営に口出しすんな
という感じに言われました。じゃあという事で
事情を説明しても難しいのはよくわかりました。ではこちらが動くことにいたします。
越境通学の許可が取れるよう動きますので、必要な書類があればまたお願いしに参ります。
と、言った途端
関わらない事をお約束します!
といわれました。即答で。
最初から怒鳴り散らしたら良かったんですかねえ?そういうの得意じゃないからしたくないんだけど。
私、見た目は年相応のオバチャンだし、怒っても口調は丁寧を心掛けてたので舐められてたのかな?
いきなりスパッと学校休ませて、連絡してくんな!とはっきり言い、校長に直談判しにくる時点で大人しいオバチャンじゃないなんて分かりそうなもんですけどね。
まあともかく、3年生からは穏やかに過ごせるようになるはずだったのです。
つづく。