母の追悼を

いくつかピックアップしてはうなだれ

繰り返し同じ曲を聴く

 

そんなにもマザコンだったんですか((笑)

今更1973ウィリアム・フリードキンが撮ったエクソシストでのカラス神父の如く、高齢者専用施設にて認知症が進行し可及的に衰弱してゆく母の孤独、絶望に何ら答えることができなかった自責の念に囚わる。

 

よくわからないがドツボのド 陰の極にまで追い詰められ

確実に私の過去の一区画全体が消失する現実にある強い痛みを感じないではいられない。

 

 

 

われ 心から待ち望む BWV727      トッカータとフーガニ短調 BWV565

高橋悠治37歳時録音

つづいてケンプのバッハ小品集から同曲BWV727  とBWV659   

BWV727はマタイ《コラール:血潮滴る主の御頭⦆《私がいつかこの世を去るとき》の編曲?

ちなみにオルガンコラールBWV659《来たれ、異教徒の救い主よ》もピアノで奏されるとより身近に痛切感が伝わってくる。

 

奇しくもこの高橋悠治とケンプ、聖フローリアン朝比奈ブルックナーは三つ巴、ともにちょうど今から五十年前――1975年の収録。

 

 

 

 

1975年聖フローリアン朝比奈の7番第2楽章アダージョを繰り返し

この天国的な弦の中空に順次溶けてゆくよな合奏は・・・・・・・

 

 

 

 

バーバー弦楽のためのアダージョ

おなじみオリバー・ストーン監督の1986プラトーンのテーマ並びにJFケネディの葬儀に奏され―

いささか録音の古いミュンシュ、バーンスタインのものより、この廉価盤1986ジェフリー・サイモン/フィルハーモニア管が演奏&録音ともに胸に刺さる

怖いぐらい刺ささり続ける。

 

 

 

 

 

 

ジムノペディ&グノシェンヌ

このティボーデの弾く音盤がアルコール依存症の男が自殺に至るまでの48時間を描いたルイ・マルが撮るモノクロ1963鬼火のサウンドトラックに一番近い

恐ろしくスローテンポで弾かれていて、じっくり陰の極に浸る

 

 

 

 

苦しい時やっぱり全曲これを聴くべきなんだろう

武満徹も死の床でマタイを味わっていたと文芸春秋で読んだことがあり

 

 

 

 

モーツァルトでなくヴェルディでもなく、このレクィエム

ベタ中ベタもいいところだが、識者の多くが己の葬儀にかけてほしいとのたまうコルボのフォーレ

 

 

 

 

私の60年代武蔵野市吉祥寺の幼少時代といえばドヴォルザーク新世界交響曲

回想の中に蘇る父、母のヴィジュアル、映像

第2楽章ラルゴの中盤は何度聴いても傾聴してしまう魔法のような逸品

1986ネーメ・ヤルヴィ/スコットランド国立管シャンドス盤が理想的な響き、テンポで奏でる

 

 

 

 

アルビノーニのアダージョ(ケーゲル/ドレスデンフィル1986)

かねてより許光俊という慶応出の鼻持ちならない皆が皆嫌っている評家ではあるんだけど、ケーゲルのアルビノーニを一般に流布した功績だけは認めざるをえないかもしれない。

リピート機能を押してこれもバーバーの弦楽のためのアダージョに次いで反復再生するしかないだろが。

 

 

 

 

 

 

 

パーセル歌劇インドの女王~天にいますあなたがたの偉大な力は

タルコフスキー`75『鏡』の前半にチョロっと挿入され

4分強の短い幕あいではあるもののバッハのBWV727同様耳に、心に、柔らかく染み渡る何物にも替えがたい佳旋律である。