ジャック・マルタン・オトテールはかつてフランス・ブリュッヘンのテレフンケン/リコーダーアンサンブルアルバムに含まれていた作曲家として記憶にあったので

いつものディスクユニオンお茶の水周回の際に、なるべくあーだこーだ考えないようにしてスッとレジに持って行った。

キット・アームストロングのバード&ブル作品集があまりに良かったので、ちょっとした宝くじ気分?でおっかなびっくり前田りり子(fl)なる女流奏者と花岡和生(Bfl)御年七十四になられる古楽奏者のオトテール(1674~1763)作品集音盤を贖う。

帰宅後すぐ聴取し、そこまで良いとは思えなかったが何しろ昨年九月下旬の母の逝去ののちモーツァルト、ブルックナー、シューベルトを受け付けなくなってしまった。十余年前の胃全摘手術して数か月後ワーグナー、マーラー、R.シュトラウスの全作品の音盤を根こそぎ処分し完全に縁を切ってしまったし・・・・・・・・・・・

説明がつかないが感覚的に受け入れられない状態が継続している。当然ブラームス、ショスタコ、シベリウスなんて無味乾燥に感じるのもいいとろー今の自分にはとんでもない。聴いてて五分ともたないーただただ気分が悪くなるだけ。

聴取カテゴリーが極端に狭まったまま3年たって何にもこの状態が変わらないのであれば本当にモーツァルトを皮切りにすべて処分してしまう可能性も否定出来ない。

最ももう既にモーツァルトのオペラーマリナー、ベーム、ムーティとか半分以上五割近く手放してしまったが

 

アンセルメなんかに少なからず手を付けたにせよ基本的に許容できるのはバッハとバッハ以前のイギリス黎明期の鍵盤音楽とこのオトテールのフルート音楽ぐらいだ。

バッハに準じてほぼ同時代と言えるんだろうか。仏オトテールのフルート作品集ー特に短調曲の古きこの栄華を懐かしむかのようなこの物悲しさの響きにのみ、わたしの心が解放されるのを意識する。

 

 

 

 

 

7~8年前になろうか、蓼科ポストホルンのオーナー須山さんに聴かせてもらった今井信子の無伴奏チェロ組曲=Viola版を聴きかえしその静謐さに心打たれる。

余計なものが何も無い。チェロの深さ、重さが取り除かれこれはこれでたいへん美しい録音。