結論から言うとネーメ・ヤルヴィが精力的に日々セッション録音を過激にこなしていた時期1988前まさにヨワイ五十ちょうどの頃の録音なんだがー

ブラームスの交響曲となると、在るべきテンポ、棒の構成する力量に足す独特なセンスを要する?ゆえ、ネーメ得意とするお国物を料理する手捌きだけではどうにもならぬ部分があることも事実で・・・・・

はてさてブラームスの交響曲迷盤群とその変遷をたどるんは・・・ため息しかでんな

小学4年の時か小学5年の時か記憶が混濁しているが、父が私の熱狂を期待したのか仕事帰り脇に抱えて玄関で私に渡したときの歓喜ときたらーわたしはまさに父に抱き付き父の頬に口づけした!六十六を迎えた今となってヘルベルト・フォン・カラヤンがどうだとか私にとってどうだったかは関係ない。

1963年収録ドイツグラモフォンLP4枚組カラヤン/ベルリンフィルのブラームス交響曲全集だった。

中学生に上がる前のカラヤンの存在はわたしの唯一のスーパースター?究極の憧れ?。

ゲンコン2024に至ってカラヤンのソフトが‘69収録4大巨匠激突トリプルコンチェルトを除いて手元に完全皆無?!(笑)であるにもかかわらず書斎にカラヤンのモノクロポスターだけは張り続けてる

私と亡き我が父への回想が1960年代の『帝王カラヤン』により媒介されているとみて良いのかもしれない。

もっともその後、よりインパクトのあるクナッパーツブッシュのポスター購入でネット検索したことがあったが入手に至らず。

 

 

このあと去るお方よりの貰い物ミュンシュ/ボストン響の2番/4番詰め込みLP この4番はホントに子供ごごろにも良かったとの記憶がある

 

小6のころザンデルリンク/ドレスデンSKを耳にしてまた違う世界が開眼

ドレスデンシュターツカペレなるオケの響きって(思わず笑みが漏れ)・・・・・あの

中高校時代バルビローリ/ウィーンフィルからケルテス/VPOに続く

 

大学時代に入ると宇野功芳影響下の現シューベルト愛好家と共にDG,EMIフルヴェン、海賊盤LPクナッパ3,4番、英デッカ/シューリヒト2番に臨む

 

CD化されてないDGで入手できるチェリビダッケ/シュトットガルト放響とは別テイクの3番のFM放送録音に偉く感心した覚えがある。NHKFMの解説者だったか門馬直美だったか絹のビロードのような肌触りを思わせるとかなんとか—

この頃だったろうー鳴り物入り小澤/サイトウキネンのライブTV、CD何れも1番、4番もこりゃ酷いってかガックリきた感想しかなかった。小澤本人並び桐朋OB、現役に対するそののちのサイトウキネンという長野県松本市のイベントにも失望しか生まなかったよな気がする。

 

続くクライバー/ウィーンフィルの2番VHS&DG4番→

英DECCAマゼール/クリーブランド→DGベーム/ウィーンフィルを経て

 

さらに時は流れ 近年とどめにと思った

ジョージ・セルを繰り返し聴くうちベートーヴェンにしてもブラームスにしてもセルは協奏曲の伴奏としては嵌るのだが・・・・・(ラベルに書いてある20世紀オーケストラ藝術の極致と言えば確かにそんな音が聴けるんだとしても・・・)

詰まるところジョージ・セルで残すのはハイドンだけでいいやっ  と同じことがオイゲン・ヨッフムにもいえる

躊躇なくDGヨッフムのブルックナーも処分リストに入れた

うーん先日徹底ボロクソにくさしたエッシェンバッハ棒のモノ(実況含め3~4種)を高く評価してる方も複数おられれば、ネーメ・ヤルヴィのセットには到底我慢ならないとする鎌倉の方のブログも検出。ちなみに昨日ギュンター・ヴァントの1番をちょっとYOUTUBE試し聴きしたがモノの2~3分で止めた。(ヴァントについてはブルックナーを頂点とし以前にも増して何もかも私の耳とは完璧に水と油)笑うしかない。

タワーレコードサイトの画面送ってたらジャケットに惹かれこんなもの閲覧。(ある試聴記で演奏録音共に及第とはいかぬとの評を読んだが。)

 

ヤルヴィ/LSOだが惜しいことにスイトナーのシャルプラッテンのブルックナーやサヴァリッシュ/SKDのシューマン録音での、まさに残響取入れ過剰感ーもしくは英国LSOのオケとしての限界?、かなりキラつく音響の録れ方に問題があるとすればそうかもしれない。

自然な楽譜と音響の融合に違和感が付きまとうと言うか、ドンドンサラサラ抑揚無しで流しに流すこのブラームスのスタイルでは聴者によってはかなり嫌悪感を持たれるブラームス演奏にして、全体的快速テンポで押し通し、それこそ個人的にどこか府に堕ちぬ響きにモヤモヤ。