プーチンやハマス、イスラエルの無差別爆撃の動画を見る状況が続き血も凍りつくコンドラシンとロジェストヴェンスキーの超過激バビヤールなんぞ合わせて聴いとるとホント心が荒む。

それ故、陰惨な曲調のタコCD蒐集癖を止めようと思ったがどうにも止まらぬ!

ヤフオクでストコフスキー/ニューヨークスタジアム響の革命を落札(1900円)。

米エヴェレスト原盤の英国プレスLPからの板起こしCD-W

1937年当時スターリンへの吐き気がする屈従としての苦悩から歓喜へとの類型スタイル踏襲を余儀なく。自嘲皮肉屋を自認する本作曲家にとってベト5運命、第9合唱もしくはチャイ4、チャイ5を模し、オマージュというより実は命懸けの大衆向けを殊更強く意識させる血で血を洗う自虐道化作品だろう裏読みがピッタリくる。こんな媚まくりを絵に描く楽曲も、ずば抜けた音楽的才能・表現テクニックがあればソヴィエト連邦国家体制に向けた極上起承転結つけまくりお好みの一品を献上して差し上げる心境だったんだろうという推察。

この時、作曲家に他の選択肢は寸分許されなかった。

結果的にはそれこそ皮肉にも後世にその名をとどめる1大出世作とはなってしまったがー

ゆえに音響効果のみに主眼をおく一気呵成、感情的抑揚が適度なこの米国録音はちょうど御年七十を迎えていたストコフスキーの成功地点として記憶に残るものだ。(今聴き直すと特に金管の外しや粗さが目立ってしょうがない部分があるにせよ)

 

ドミトリーはこの手の作品は多分本心気持ち悪かったに違いない。本来は世界の楽壇を代表する作曲家として多感的なプロコフィエフとかドビッシューとか‥あっち側へ傾いていた。交響曲1番とか4番とか・・・日本でいえば武満のような直観の先端を♬にするよな。

運命の戦いを経て民衆の勝利万歳という体制の力ずく暴力的要望にお付き合いー三重にも四重にも全篇にもわたって全曲に皮肉と個人の内的な嫌味を楽曲に塗り込んでると類推。

これはのちに8番、10番、11番、12番、バビヤールと何か個人内奥の徹底したやりきれない『憎悪』を具現音符化。果たしてこれは鑑賞音楽楽曲の範疇に入れて良いものなのかどうか?

それ故私見だが、残された汗びっしょりのバーンスタインだの佐渡だのマゼールだのインバルだのと小澤なんかの録音もあるんだが分析的にじっくりやってもまた激演的にコンドラシンやロジェストヴェンスキーのようにやってもザンデルリンクでもお国物ソ連時代のいずれの棒もしっくりはこない。この5番革命にかぎったことなんだがー

五十数年前プレヴィン/シカゴ響など購入した昔その翌日叩き売った記憶がおぼろげながら

厳しすぎるムラヴィンスキー実況の数々も「反形式主義的タコ研の記事」では評価が高いものの全て違うと思う。

このストコフスキーの1958年セッション録音が意図したものか偶然そうなったのかわからないがこれと後述するネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュナショナル管がベストとして信じて疑わない。

だからショスタコ5番は暗すぎても、曲に寄り添っても突き放しても感覚的にやっても機械的に流してもーどの演奏においても成功例がほとんどないのかもしれん。自己否定に満ちるが色彩的音響ピエロにもなり得ない虚無感が底流に流れる特異な逸品である。

 

 

 

わたし個人にとって、懐かしの1958年録音ストコフスキー革命を反復し聴いてると

この邦画が思い起こされる。1980野獣死すべし

一辺の良心も擦り切れ消滅してしまった優作演じる伊達邦彦の底流を流れるアナーキスティックニヒリズム。

 

 

小林麻美が銀行で胸を撃ち抜かれるシーンは5番革命の冒頭部分に拳銃をこみかめに当てつつ酔いしれる松田優作の演技と合わせ、これがTV放映された翌日、先輩と大学のクラシック研の部室で話題にした四十五年前が昨日のことのよう。

 

 

 

DG1988収録ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ響の11番「1905年」、韓国イエダンクラシックス1954収録ドミトリ自作自演連弾編曲の10番シンフォニーと次々ヤフオク中古落札できてしまった。

ドミトリーはほとんどピアニストとしても超ゝ1流、奇跡的な雄弁さを持ち、明晰なモノーラル録音とも相まり入手出来て良かったぁ。

 

 

ストコフスキー/NYS響からこれまた三十年後の録音ーシャンドスのネーメ・ヤルヴィ/ロイヤルスコティッシュナショナル管の5番革命

こりゃストコフスキー盤に比べダイナミックレンジでは比較にならない音響効果抜群だし、ヤルヴィ父は元々ムラヴィンスキーに師事しショスタコ本人とも直接行き来していたような写真が現存。同じ10番のサラサラと流す解釈と異なり意外にも随分芝居がかったタメが連続し聴き応え充分。

むしろネーメ・ヤルヴィという棒振りはトスカニーニやムラヴィンスキーの系譜がその音楽性に強く裏打ちされ、二十代は出自が元々類まれなる打楽器奏者でエーテボリ響の11番「1905年」第2楽章終結の鮮烈な決めなど面目躍如たるものがある。