アウシュビッツの悲劇直前の幾重にも入り組んだ民族紛争を交えるキエフ近郊で起きた戦時大量虐殺史《バビヤール》

このような2021制作ドキュメンタリー映画 昨年9月日本公開があったことも知らなかった

わたしがコンドラシン、ロジェストヴェンスキーの音源を手にするのも先のコンドラシン8番に続いて初。

日本コロンビア/ダイアモンド1000シリーズの当時レコード芸術誌上にて出谷啓が推すストコフスキー/NYスタジアム響の5番《革命》LPを電蓄でかけて眠りについていたのは小学六年だったか五年生の頃だったろうか?あれから五十年?六十年近く?という時間が軽く過ぎてしまった。当時よりあの曲調に意味もなくドス暗い興奮を覚え寝付いたものだった。

ハマス、プーチンが施行する病を抱える弱者、老齢者、女性、子供に向けられた許されざる暴力がこの現代に。

先の記事でも書いたが聴かなくて済むなら聴くべきではないー出来れば自ら近づく必要も無い—シューベルト、モーツァルトに続く鑑賞カテゴリーにゼッタイ入れるべきでないことは確かなんだが—。

元々音響構成・組成が非常に独特なもので二律背反、その天才にしか成し得ない発想性、楽想や打楽器の扱い方にも感嘆しつつもかなりの評論家が絶賛する4番、7番《レニングラード》、15番の交響曲等5番、8番、10番に比して曲自体個人的にほとほと好まないしある種たとえようもない嫌悪感が沸き起こる。

当「バビヤール」にしても黛敏郎「涅槃交響曲」然とした凍てつく冥界彷徨といった感が強く、あっちの世界の雰囲気に全曲包まれる。

エウゲーニィ・エフトシェンコ原詞の翻訳を辿ってゆくと強烈なこの世の地獄を最後まで綿々と綴る。

 

よってショスタコ盤蒐集も以後之をもって終了としたい。

 

映画バビヤールのレヴューより

~その子どもたちはユダヤ人というだけで命を奪われてしまった。こんな悲劇を繰り返してほしくないが、現代のウクライナでも悲劇が起き続けていると思うと、人間とはなんと残酷で愚かしい生物なのだろうと思う。本ドキュメンタリーは歴史ドキュメンタリーであるが、描き出す人間の本性は現代人のそれと何ら変わらない。

 

 

 

結局HMV発注のうえ上記連弾版の購入に至る。