有に前回の大島渚ふりかえり投稿より丸6か月経過しきったところ

ほとんど日々生活時間モーツァルトのピアノコンチェルト、ピアノソナタ、コンサートアリア集、ディヴェルティメントUSB収録30時間ないし50時間流しっ放し、聴きっ放しー何がどれということも無く音量を限りなく抑えてかけっぱなしにしておいた。

時として気まぐれにバッハ、ヘンデルの鍵盤ソロを挟み込むも99パー車に乗ってるあいだYOUTUBE時事問題をかけてるあいだのほとんどがモーツァルトを流し続けた。

意識的にモーツァルト以外拒絶ー耳に入れないようにしていた

あーあ先週ついに怖いもの見たさNHK/Eテレにてノセダなる齢六十前のイタリア人の棒でショスタコ8を聴いてしまった。

ショスタコは7年前の胃全摘手術以来1回も一度として耳にしていない。通院終了後7年越しにフィジカル面、精神面でもある一定の回復があったやもしれぬ。多分一生ショスタコは耳にしなくていいや、もしくは聴取不能とも思っていたが全曲通しであれよあれよと連続CD7~8枚一気に聴きおおせてしまった。

あれっ、でもタコ8ないしタコ10ってこんな上滑りのやかましいだけの軽い曲だったけか?

現ベルリンフィル常任てなこと五十をこえたばかりペトレンコのナクソスで出してた残念な10番を聴いたことがあるが・・・・・

あえてムラヴィンスキーで全部聴きなしてみる。(病療養後の勢いで処分しなくてよかった)

 

 

 

相も変わらずのN響の如何ともし難いレベルもレベルだがノセダ ペトレンコのものは汗かきすぎーいかにもウクライナ侵攻タイムリーこの曲性格のオドロゝしさのみが強調された熱演という域に留まることを痛感せざるをえない。

ヤルヴィ父やインバルとの差も歴然としているがムラヴィンスキー/レニングラード最全盛期の鳥肌立つ凄演との差はもはや次元が違いすぎる。

N響財団として無い袖振れぬとはいえファビオ・ルイージ パーヴォ・ヤルヴィとしょうもない棒振りがN響の客演?常任?を余儀なくさせている

 

 

はてさて振り上げた拳をどうしても下すことができないプーチンという紛れもなく現代にも超大国犯罪的独裁者として生き残ってしまった旧1,2世紀前の遺物人格を再考する意味でも、この荒涼とした暴力そのものを表象する楽曲を振り返る意味はおおいにあろう。

プーチン! 習近平! ジャニーズ事務所とそれを延命させた腐敗の極に堕ち行くメディア! LGBT法強行した現自民党政府ー2023年のこの現在においてもかつてポルポトやスターリンに対し抱いた逃げようがない人間存在の歴史的存立過程に当たるーその根源に宿命的に背負わされている、おぞましき漆黒を意識しなければならない。