確実にモーツァルト第3次ブームが私的個人的にも—きていることを意識。

六、七年ほど前、まさに胃全摘直後のさなか抗がん剤(確実な副作用を伴うTS-1、オキサリプラチン等)投薬下であったが、もう今は違ってすべての曲が明晰にこころ安らかに聴こえるもの。

リンパ節転移から全身へと回る他人事のような恐怖との背中合わせでの第2次ブームにおいて、ひたすら明るいモーツァルト旋律への聴覚の希求は別世界なものであった。

バリリのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集から派生してジュリアードのハイドンセット1977を繰り返し反復かけていたらアマデウスSQ五重奏曲全曲から始まり何やら止まらなくなって。

パスピエさんの記事にコメントを入れた六十年代海外懐古ポップスや由紀さおりや丸山圭子まで確かにそれぞれ良いのだが如何せんどれもこれもあまりにも一つ一つ単発個別に短かすぎ。物量的にも、生理的にも刹那的にポッと消えて行ってしまうに比しこのモーツァルトの天才的調べの膨大さ、統一された満足感とは比較にならない。

グリュミオーの1953~55Vn協奏曲集、1967K563ディヴェルティメント、二重奏曲

コンサートアリア集からあの天国的なオケ伴奏に加え何気にピアノ単奏と絡むK505だけバルトリ、シェーファー、マティス、ベルガンサらUSBに入れ直し自家用車運転中悦に入っている。

ピアノ+管楽器五重奏K452は1990内田光子、1986ホリガー/ブレンデルはYOUTUBEで聴けるので1994ホリガー/シフと比較したが内田、ブレンデルにネットリしたある重さが感じられないシフ盤の軽快さを好む。(石井宏氏が推す1955フィルハーモニア木管G/ギーゼキングは未聴)

 

この1977ジュリアードは石井宏、福島章恭の両著作に詳細な賛意が載っているが、こりゃ確かに演奏・録音共に理屈抜き実に心地よい。

弦楽五重奏曲の1968~70アマデウスSQは収録音響が地味で、私の持ってる機材ではその実力把握が難しいが聴き進むうち弦楽室内楽の音のピアノコンチェルト群のある種の煌めきが不足する分、むしろその音色の渋さ自体にとりつかれてしまう。

六十代後半へと踏み出した自らの歳のせいもあるか。モーツァルトの室内楽やコンサートアリア等USBを使用して煩わしいCD入れ替え作業を排しての流しっぱなしはパソコンブログ入力、調べものや読書に限らず自動車運転、考え事、焙煎挽きたてドリップ珈琲を味わうに際し究極のBGMになって。なにも考えず自分の意中の曲、演奏家のみを個別USBに集中させて唯々生活作業の背後に何十時間でも流しっ放しに。