一向に治まらぬBA5が都内を席巻するなか、完全防疫態勢をとりつつ、またもお茶の水駅ディスクユニオン神保町、新宿と出かけた。
このクソ暑さも手伝ってクロイッツェル第1楽章の上昇し行く終盤の決めの一節(ひとふし)が頭を離れなかったから
何という才能しか感じられないメロディーラインだろう!
一方、ヴァイオリン協奏曲だがフルトヴェングラーBPO/メニューヒン1947に手が伸びかかるも、USBに入曲し反復鑑賞するのに後で後悔する可能性も高く
明晰なステレオ録音オイストラフ/クリュイタンス1958、シェリング/イッセルシュテット1965という定盤中の定盤二組を仕入れることに
ベートーヴェン楽曲集中USBにVn協,Vnソナタが購入/処分を繰り返し1枚も音盤無しと言う訳がわからない状態はいくらなんでもキツイと正直思った。(同様な事がバッハ無伴奏ヴァイオリンでも起こり1セットも手元にない)
わたしはグランドスラム主宰平林直哉氏とほぼ同齢ということもありなにか、ノスタルジックな思いも募り、いまさらだー今更ジロー?RumikoKoyanagiこの前購入直後のメニューヒン&ケンプのソナタ全集と合わせダヴィッド・オイストラフ、ヘンリクシェリング、ルービンシュタイン、アンドレクリュイタンスの生きた時代。
クラシック音楽六〇年代全盛を述懐。
やはりベートーヴェンって違う
人殺しや殺害に躊躇を挟まぬ妄執にとりつかれたプーチン、山上徹也のようなヤカラがこの地球上に日本にも背中合わせにいるという現実に
しかもプーチンは現在進行形で市民生活を送る一般人の頭上に、入院中の老婆が痙攣を引き起こそうが、親とはぐれた血まみれの幼児が泣こうがわめこうが爆弾の雨を降らせて止める気配は寸分も無い。
ああっ、ここにルードヴィッヒを使うなんて!とは1971時計じかけのアレックスを回想。
押しとどめることが不可能な人間の心のメカニズムの変性とその不可思議さに自分自身の今ある精神生活の有り様を含め、改めて凝然とさせられるというか
このレベル級突発的事象にぶつからんと今更かつてのベートーヴェンを聴き返すことも無かったのだろう
今更ジローが小柳ルミ子のヒット曲だったことなんてー奥村チヨか由紀さおりだった程度の記憶??
ベートーヴェンの音楽の特性でもある、人間が持つ善悪を越えた生命の根源の推進力に他の作曲家に無いある必然・必須を感じる
モーツァルト、チャイコフスキー、ブルックナーでは得られぬその特性に