次は、千晶√について。これはネタばれが入らざるを得ない。あと、チラシの裏すぎる。
時間を置かずにドバーって出すのはいいけど、まとまりが・・・。
この√、多分一番最初にやると結構くるはず。
ただの、異性だけど異性じゃない「だけの」同級生じゃないのって。
だって√入っても当分ははまさにそんな感じで進むから。
こっちは耐性をつけて2キャラ目だったからいいけどさ。鬱すぎるわ。
(おかげでどのタイミングで絶望に備えておくべきかなかなか難しい。フェイントかけてくるし。)
なお、この√は1周目と2週目があります。
なお1周目は超絶堕落的退廃的生活によって、春希が立ち直った後、冬休み明けに、強制的にサヨナラです。また、春希君は傷を負います。
読み手には「わかっている」のに、手を出せない。
春希にとっては、明確なBADです。
それによって選択肢が解放されます。
更にそれを選択することで千晶の本性を現すようなシーンが入るようになります。
おそらく読み手には「彼女の正体」がこのゲームを1周やればわかる作りになっているので。
僕はいかに彼女が「すごい」かを強調するシーンであると感じましたが。
油断してた。ほんと「人間じゃない。」
ここまですごいのは他のゲームでも、見たことがない。1つのことにすべてをかけるために他のすべてをその養分として利用する。
友人関係も、信頼も、学業もどうでもいい。すべて演技だから。
演技を、舞台をより完成度の高いものにするために。
(なお、今回の脚本は3年前の軽音楽同好会の3人のお話。)
つまり、それは春希も観察対象に過ぎなかった(しかも、春希はある意味陥落させられた)ということで。
この物語のテーマといっていいほど流れる「届かない恋」を放送用に提供してしまったのも、「3年かけた演出」で、おまけに雪菜にまで接触し友達になっちゃうし。(魔王様は数段上ですが。)
いわば、友人とその信頼関係を完璧に裏切る形になるわけです。
観察と把握が終わったら用済み、ぽいって投げ捨てる感じで。
そうなると、ここで重要なのは千晶自身の「気持ち」です。
その「存在」は、単純に割り切れるレベルで済むのかどうかという。
(割り切られたら物語は終わっちゃうからあれだけど)
というわけで、彼女は、誰にでも「なれる、なりきることが可能」なのですが、彼女自身の「気持ち」はどうなるのかということが、冬休み後に描かれます。本人は全然気にしてない感を装ってますが。
(演劇自体も気になるけど、それどころじゃない。正直。)
どうみても、そんな感じには見えないから君というか。
春希のこと全然「終わった、興味なんてもはやない存在」と割り切れてないから。
大荒れ過ぎる。見ていて危なすぎる。
千晶いわく、「切り札」があるから頑張れる、責任を取らせることができるとか。
母性に目覚めたとかいってますが、いやいやそれ勘違いだから・・・。
ってその勘違いが判明するのはよりにもよって舞台公演中。
おまけに、その舞台見に来てる観客の中には春希←これはいい。
見に来てほしかったに違いないから。
でも重要なのは、隣になんかいるってこと。
まぁ、彼女はいつでも春希の隣にいるから仕方ないねだけど。
この辺は、舞台中止になっちゃうんじゃないのかとひやひやした。
最後まで安心していられる√なんてこのゲームにはないのか。
できれば、この劇中劇を別立てで作ってくれないかな。全然集中できなかったから。
やばい、なんか言いたいこと全然まとまってないけどグタグタだけど。
この辺にしておきます。