遙か遠くで、私の中の何処かで、微かに呼ぶ声がした。
私の事を呼んで居る様だ。
声は弱々しい。 でも、懐かしい声に思えた。
何時聞いたのだろう。 思い出せない。

外ではセミの声がうるさい。 その泣き声につられ、窓の外に目をやる。
遠くの雲が止まって見える。 時も止まって居る様だ。
あの時の季節。こんなに熱かっただろうか?。
もう既に私は。 記憶を思春期まで遡って居た。

見付けた。 夕日の差す教室で。 私を呼ぶ声を。

その時、突然の涙。頬を伝いポタポタ床まで落ちる。 止めようの無い涙。
私は。どうして仕舞ったのか? 自分の事がわから無い。
私の過去の何が。 今の自分に起きて居るのか。
セミの声が泣きやまない様に、涙も止まらない。

目の前に有るのは名簿。 同窓会名簿。私が33才の時の一回目。
私はその一点をじっと見て居た。 そこに有る名前「久美子」を。
でも、私の知って居る「久美子」と名字が違う。 結婚?
彼女は結婚して居た。 嬉しかった。 私の涙は嬉し涙に変わった。

・・・・・・
住所に目をやり「おやっ」と思う。 都内の住所だ。
北海道で看護師を、32才(33才)までしかできなかった。 違っていたのだ。
何故か視線が動こうとしない。 電話番号。住所。新たな名字。 見詰めるだけだ。
私は大変な事に気付き初めて居た。それは有っては成らない事。
私の記憶には無い事と成っていた。どうして今。 この記憶が。

・・・・・・
徐々に甦る記憶に、止まらない涙の原因を見付けた。 何と言う事だ。
私は、この記憶を生涯背負わなければいけないのか。 言葉を失う。

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以前【生き方の選択】を私は書きました。 それを先に見てから先へ進めてください。
私からの強い要望です。時間が無いようなら、改めて時間の有るときにお願いします。 生き方の選択へ
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42才の時2回目の同窓会が有った。    【生き方の選択】を参照。
前日から私は楽しみにして居た。 特に「久美子」に会える事だ。
前回の同窓会は33才の時で有ったが、「久美子」は来ていなかった。


あれは成人式の事で有る。
私は式の日だけしか休めない為、一旦は出席を断った。
だが、親の強い願いも有ったので、当日の状況で決めたいと提案した。
すると、「田舎の成人式に、北海道からわざわざ出てくる人もいる」
「お前が出席するなら北海道からやって来るが、お前に会えないなら来ないと言って居るらしい」
「当日だと困る。今決めてくれ」と親父は言った。
私は出席する事にした。但し、式にでる以外に時間は取れるか分からないと答えた。
北海道から出てくるのが「久美子」とも知らされていなかった。

寝台列車で朝着き、午後の列車で帰京するスケジュールである。式が終わってからの余裕は殆ど無かった。初恋の人への4年ぶりの再会があり、彼女が泣き崩れ、「久美子」へ案内する予定の人の段取りが狂い、「久美子」が待って居る場所に私は行けないまま時間が過ぎた。 結局会えなかった。
私に会う目的の為だけに北海道からノートを持って来ていたと言う。卒業の日、3年A組の最後の教室で二人で会話した時のノートで有る。
彼女は、それを見ながら当時の事。その後の今に至るまで。現在、北海道で看護師に成るため勉強して居る事。話したかった事一杯有った様だ。 私を待っている間、友達には話して居たと言う。

それを叶えて上げられないまま、42才の同窓会が明日有るのだ。全ての時間を彼女の為だけに使っても良いとまで思って居た。
当日、「久美子」を捜した。会場を2度程確認したが見あたらなかった。 そこで幹事に聞いた。
「久美子は来てないの?」
少し間が有った。 知らなかったのか?と言う表情で答えた。
「亡くなった。33才になるか成らないかで」
「癌が見つかっても自分の治療より、患者の看護の仕事を優先したらしい」
「治療が遅れて。 最後は苦しんだと言っていた。親父さん」

私はショックを受けた。死んだ事。そして成人式で出来なかった事を永久に叶えて上げられなく成った。 でも人生最後の彼女の生き方の選択を知り、悲しいとは思わなかった。感激の涙だった。
それは、私と「久美子」が3年A組の教室で最後の時間を過ごした思い出がそうさせた。

私から遠ざかりながら、幹事は言った。
「久美子と最後、会ったんじゃないの?」
私は覚えが無かった。 「いや。会ってない」
「そうか。連絡はしたんだろ」「シュん。から連絡が有って、ズーと来るの待ってたと言ってたよ」
「連絡?」私は記憶に無かった。
今、初めて聞いた「久美子」の件。 連絡とは何だろうと不思議で有った。


そして、今日。ブログに書いた昔を懐かしく思い、古い資料を引っ張り出して見て居ると、1回目の同窓会名簿が出てきた。表紙を開く。最初のページはA組だ。私の名前が有る。住所は横浜。裏のページをめくり見付けた。「久美子」の名前。住所。電話番号。 
東京の住所で有った。 名字が変わって居る事から結婚して居た事が推測出来る。
今日まで彼女が亡くなった時、結婚して居たかどうか知らないで居た。

この頃、彼女は未だ生きて居たんだ。 名簿の日付を見た。 32才の時のもので有る。
当然。私は当時これを見て居たハズで有る。彼女とは成人式での事で悔いが有ったハズ。是非とも会居たいと思ったのでは?・・・
突然、扉が開いた。深い深い心の底。 鍵が掛かって開かないハズの扉。その鍵。同窓会名簿と言う鍵で開いてしまった。

・・・・・・
私は当時電話して居たのだ。 鮮明に甦った。
ダイヤルを回すと、呼び出し音に続いて年配の女性の声がした。
「ハイ。アダチでございます」
「もしもし。シュん。と言います」「久美子さん居りますでしょうか?」
「あの~。今、電話には出ること出来ません」
「え。どう言う事ですか?」
「病気で床に付いて居ります」「電話に出ることも難しい様な状態で・・・」
「そうですか。 では直りましたら連絡が欲しいとお伝えください」
「・・・。 直る事は無いかと・・・思います」
「え。そんなに悪いんですか? 私が会いに行きます」「場所を教えてください」
「確か。 病院は、XXXX病院だと。正式な名前は・・・」
「住所など分かれば教えてください」
「ちょっとお待ちください」
受話器を置く音がし、私は待った。
「もしもし。貴方は久美子とどう言う関係でしょう?」男の声だった。
「あ。私、中学の時の同級生で」「懐かしく思い連絡しました」

「ただ、それだけですか?」

「20才の時会って話をする予定が、出来ないままに成っていました」
「今、重い病気で寝たきりと聞きました」「私からお見舞いに行きたいと思いまして」「病院の住所を教えて頂こうと待って居ました」

男は「私は。 会って欲しくない」「今の彼女に見舞いはしないでくれ」

私は、予想外の返事に戸惑った。
「どうしても、会わないといけないと思って居るんです」「彼女が私に話す事有るハズなんです」

「私は。認めたくない」「来ないでくれ」

沈黙が続いた後、私は言った。
「分かりました」「私からの電話が有った事。必ず彼女には伝えてください」
「後。先ほどの女性の方に変わって貰えますか」

「ハイ。 変わりました」
「お見舞いに行くこと無理そうなので」「電話番号言います。何か有りましたら連絡ください」
「彼女には私からの電話有った事、宜しく伝えてください」「お願いします」

電話を切った後。一、二週間の内は、もう一度電話して見舞いの件を頼もうか何度も考えた。
時間がそれ程経っていない電話では断られると思い、家まで直接行く事も考えた。 でも何もしないまま時間は過ぎた。

・・・・・・
それから大分経って居たと思う。半年は過ぎていただろう。電話の件は忘れて居た。
家に帰ると妻が「アダチさんから電話有ったけど」と言う。
22時を過ぎて居た。 「明日で良いだろう。アダチさんなら」
「急いで居るみたいだった」と妻。
私は夜遅かったが電話した。「そんな電話してない」と返って来た。
私の会社の社長がアダチで有った。 
妻に聞くと電話番号を訊いて有ると言う。
控えの電話番号に掛けると、年配女性が出た。「アダチです」
「あの。シュん。と言いますが。電話頂いた様ですが」「どちらのアダチさんでしょうか?」
「え。あの。久美子の家の」女性は答えた。
「久美子」と聴きようやく分かった。
「どうしたんですか?」慌てて訊いた。
「先ほど、8時XX分。 久美子は息を引き取りました」
私に、空白の時間が出来た。 言葉とその意味する状況とが結び付かなかった。
「最後まで、会いに来てくれるの待って居ました」涙の混じった声が受話器から聞こえて居た。

「遅いです。遅すぎます」怒鳴っていた。
「・・・最初に電話した時は、未だ息は有りました。」
「何時ですか」
「3時頃だと思います」「以前にも、連絡したのですが・・・」
「え。覚えないです」私は暫く考え、さっき社長に電話した事を思い出した。
「久美子と言って貰わないと分かりません」「旧姓でも良いです」
「アダチはうちの社長の名前と同じで、全て社長からの連絡と思ってしまいます」
「今も社長に電話した所でした」

「・・・それは。 もう過ぎた事ですので・・・。 せめて葬儀に出て頂きたいと思います」
「場所は、XXXXX。時間はXXXXからです」
「行けるかどうか分かりません」と答えて居た。
スケジュールの問題では無かった。予定が入って居たが調整は可能で有ったろう。
私には、全てが信じられなかった。嘘だと思った。

電話を切り妻に訊いた。
最初3時頃、電話したと言ってる。
「急いでる様だったけど。帰ってから言えば良いかと思って」「その後夕方、2度目の電話が有り、会社に電話したけど、会社出た後だったから」
会社は都内の中心に有る。2時間掛からず会いに行けただろう。
最初の電話で連絡が付いて居れば問題無く間に合った。
夕方の電話でも会社に居て受けて居れば間に合ったろう。
以前に連絡した件も思い当たる。
帰宅すると、「アダチさんが会いに来てくれって電話有った」と妻が言っていた。
一週間程前の気がする。「明日会社に行けば社長なら会えるよ」「こんな夜中に直ぐ会えと言う事じゃ無いだろうし」
「社長じゃ無かった」「女の人」妻は言った。
別のアダチなのか。思い当たらなかった。
「連絡先は?」 「訊いて無いけど」
「久美子」の新しい名字は、名簿を見て電話した時初めて「アダチ」を知り、それっきりで有った。
「アダチ」と「久美子」はわたしの中では結び付かない存在であり、「アダチ」は社長で有った。
それっきりと成り、訃報を聞いたのである。

全てが嫌に成った。世の中の全て、自分以外が敵に思えた。
怒り。悲しみ。切なさ。空しさ。憤り。やり場のなさ。 持って行き場の無い感情を抑えようと、心の中で叫んで居た。強く強く。

「嘘だ」「あり得ない」「有っては行けない事だ」「間違いだ」「どうしてこんな事に成る」「誰が悪い」「どうすれば良いんだ」「嫌だ。絶対に嫌だ」「許せない」「説明してくれ。納得いく様に」
繰り返し、繰り返し。長いこと、心が破けたと思えるまで。
妻が何か言って居る。人間の顔を見たく無かった。声すら聞きたく無かった。
私は一人宇宙空間に漂いながら、遠くに見える小さな地球を見て、そこに向かって怒りを込め叫んで居る。そんな心境で有った。

その晩、どうやって寐たか分からない。 翌朝。平常心に近い形で起き、普通の生活に戻った。
「久美子」の葬儀にも行かなかった。
そして、10年後。2回目の同窓会を迎えた。
更に今から1ヶ月前、【生き方の選択】をブログに書いた。

そして3日前。心の扉を開ける鍵が見つかる。

私が最初に電話した時、見舞いを拒否された。私の希望はどうでも良い。
「久美子」の身体の事情を知って、それで結婚をした夫の彼は素晴らしいと思う。
本当に心から愛していたのだろう。その夫の希望である。会って欲しくないと、感情を込め言われた。 私は、それを尊重した。会わないと約束した。私自身の希望は取るに足らない。

ただ、「久美子」の望みはどうだったのか?
訃報の電話で言われた言葉「最後まで、会いに来てくれるの待って居ました」
私が取り乱し、私の中で無かった事にしてしまった原因は、これで有る。

私は会って欲しくないと言われ従った。よって会いには行けないのだ。
「久美子」にはどのように説明して居たのか?
私から連絡が有ったと伝え、会いに来たいと言って居たが、夫の反対が有り会いには来ないと説明して居たかで有る。

私には会いに来るなと言い、「久美子」には連絡が有ったから直に会いに来るだろうと言って居たとすればおかしい。
本来、シュん。と言う人から連絡が有り会いに来たいと言って居たが、会うのを断ったと「久美子」に話し、夫の私の希望だから納得してくれと言うべきである。
「久美子」は、それを聴き、自分の希望としては会いたいけど、愛して結婚した貴方が望むなら私はそれに従い生涯を終えます。と納得するハズで有る。私を待ち続けるハズはない。
もし、夫の希望が反対でも、「久美子」の希望が勝って居る場合は、夫を説得して会う了承を取り付けるだろう。 その時は私に連絡が来ると思って居た。
連絡を貰えば私は直ぐ会いに行ったろう。

訃報の電話で「息を引き取った」と聴き「最後まで、会いに来てくれるの待って居ました」と言われた時、「有っては成らない事」と逆上した。上の理由がその根拠である。

訃報を聞いた瞬間の私の衝撃は大きかった。現在、記憶を辿る私は、あの時以上に厳しい心理状態と成っている。

それは同窓会で話を聞いて居るからで有る。
「自分の治療は拒み、動ける内は患者の看護を優先したそうだ」
「動けなく成ってからの治療は手遅れで最後まで苦しんだと言って居た」
「シュん。が会いに来るのをズーと待って居たと聞いた」

「久美子」は私との中学最後の教室で、自分の人生の方向性を見付けたと思う。それに従い、自分の限られた人生、納得出来る生き方をした。それが自分の治療より他の患者の看護優先で有ったハズで有る。周りの反対を押し切って自分の生き方を自分で決め生きた。そしてとうとう自分が寝たきりと成ってしまったが悔いは全く無い。後は自分で努力する余地は無く自分の生涯を終えるのを待つだけで有る。
そこに私からの電話が有ったと聞かされる。成人式では会えなかった。話したい事。一杯有ったのに、叶えられずに居た。わたしに残された僅かな時間で、その願いが叶うんだと希望を持ったと思う。ただ、人生最後を待つだけの日々から、私の訪問を待ち望む毎日に変わったのである。
私は「久美子」が、どれだけ嬉しかったろうかと想像する。

最初は、話したい事一杯有り、一日では無理と思ったかもしれない。
何度か来てくれるだろうと期待もあったろう。
「今日来たら、あれとあれは先ず話そう」「残った分は、次でいいや」
「シュん。くんに聞きたいことも沢山あるな」

中々私が会いに来ない。 
「今日。来てくれるかな」「私。体力が無くなって来た見たい」「あまり話せないな」
「会えても一回かな」「話す事。選んで置かないと」

未だ来ない。
「今日来てくれないと・・・私」「一言いうのが精一杯かも」「どうして来ないのかな?」
「シュん。くんの事だから。毎日頑張っているだろうし。中々無理だよね」

最後の日。
「一目見るだけで良いんだけど・・・」「そうすれば。夕日の教室に二人でいた時に戻れるのにな」


私は行けなかった。会いに行くのを止められていた。連絡を貰った時は、全てが行き違ってしまった。最後は苦しんだと聞いた。私がその期間を長引かせたのだろうか。最初電話してから半年後の訃報で有った。その間苦しみながら私を待ち続けたのだろうか?。来るハズのない私を・・・。


生きている間にどうしてもしなければ成らない事が出来ました。
久美子の墓を捜す事です。 私はその前に立ち。 一言だけ言えれば良いです。


  「逢 い に 来 た よ」




【悲しみの終わりに】

何も言えないまま別れは近づく。

あの笑顔を観る事は永遠に無くなるだろう。

そんな毎日を送るなんて耐える自信が無い。

乗り越えられるだろうか?。 思い出とする事で。

もう一度、微笑む彼女を観れたら。と願うが・・・・

記憶に全て仕舞おう。

夕日が差し込む何時もの教室。 もう二度と座ることのない机。

チョークの匂いが立ちこめる教室。 黒板の3年A組の文字。

君の横顔。何時も授業中見て居た。 最後の横顔。

今も君はノートを取る。 私の話す言葉。 最後の言葉。

君は言う「後でノート見て、思い出せるように」と。

苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、「ノート見るんだ」と。

突然「私。長く生きられないみたい」と彼女が取り乱す。

誰にも言って居なかった。けど、最後の日。最後のこの時。

とうとう堪え切れず彼女は言ってしまった。 私だけに。

親。先生。誰にも訊いて貰えなかった。 本当の悩みを。

人生の生き方の本質。 私の考えを言う。 だたそれだけだった。

私が彼女に出来る唯一の事。 祈る気持ちを込め必死で。

「初めて」と彼女は嬉しそう。 自分の人生を喜べる自信が見えた。と彼女。

短い人生だからこその生き方、して欲しいと願う。 私。

最後に。最高の笑顔を見れたと思った。 私。



本当に最後に成ってしまった。 二人だけの教室は戻らない・・・。

もう二度と。 何も言えないまま。