セクシャリティもビジネスも

結局は自己信頼だなと思う。

 

自己信頼と言うのは、

流れる川に最後の杭を打ち込む。

 

宇宙の真ん中に立つことなんだ。

 

二元の創造性と言うのは、流れ続ける。

永遠のおいかけっこの世界。

 

それは、まるで地獄のようだと例えられる。

 

セクシャリティで言えば

イかせようとすれば

イコウとする人が生まれる。

 

イコウとすれば

イかせようとする人が生まれる。

 

お互いを愛しているからこそ

その行為が起こるのだけど、

イコウとする人とイかせようとする人は

永遠に出会うことがない。

 

それは、セラピストやヒーラーの在り方にも似ている。

問題(癒されていないことやトラウマ、カルマ)に焦点を当てて、

問題を解決しようとする。

(問題を作り続ける&問題解決の次元)

 

問題解決では二元の世界を終わりにすることはできない。

 

 

今、次元は二元の創造性からひとつあることへ。

ともに創り上げる創造性へ。

 

ひとつあるものが二つに分離していた世界では

二つの存在は自分と相手(対象物)しか見ていない世界。

 

される人は、する人への不満を見て

する人はされる人への不安を見る。

どちらも相手を見ていて、今ここにいない。

一緒にいるのに離れている。

その距離は永遠ぐらいの距離がある。

 

どちらも実は「受け身」なんだよね。

 

相手の真実に触れることが怖い。

自分の真実に触れられることが怖い。

 

思いやりと言う名の恐怖があるかもしれない。

それっぽい言い訳には

スピリチュアルという名の支配があるかもしれない。

 

けど、それを解決しようとすると

永遠に終わらないものがある。

 

解決する必要はなくて、

新しい次元を知るだけでいいものがある。

 

 

ふたつがひとつである世界がある。

そこに触れるともっと広い世界が見えてくる。

 

それをパラダイムシフトと言う。

 

「相手」や対象物(問題)へのフォーカスがなくなる。

 

すると自然に問題解決の次元から

創造の次元へ移動する。

 

するでもなく

されるでもなく

ふたりが同時に「在る」とう世界が創造されていく。

それは、美しいダンスのようなもの。

その世界を見ることができる。

 

相手を自分のものにしようとすることが消えていく。

存在(いのちの躍動)を感じる。

 

自分という存在も粒粒になっていく。

相手のエネルギーと粒粒がまじりあっていく。

 

肉体を越えたダンスが始まる。

 

 

自分の真実を語ること、

セクシャリティを軽やかに語りあうことが

新しい世界を開いていく。

 

恥ずかしさは、星座を通じることで変わっていく。

指のワークを通じて

する人される人、ともに創造することを体感していくと

 

聖でも俗でもなく

愛とやさしさと慈しみにあふれた

新しい世界が始まる。

 

そこに一度足を踏み入れると、

聖も俗もする人もされる人も

すべてが楽しめるようになる。

 

そうではない世界への

ジャッジがなくなる。

 

すべてがOKで

すべてに一体感のある世界に変わる。

 

二元の世界の因果はここに関係ないんだ。

 

けれど、それは、執着がないとか所有がないとか

悟りっぽいことじゃないんだよ。

 

 

すべてがひとつの世界は

流れる川に杭を打ち込む時現れるんだ。

 

そこに永遠はある。

運命も星も時間も越えるんだ。

 

 

その話はまたしますね。