土星は、わたしたちの「土壌」を

耕し基盤を作り、磨き上げます。

 

太陽系の宝石とも呼ばれ リングで知られる土星は
美しいガス惑星。

肉眼で見える最遠の惑星でもあり
(正確には天王星も肉眼で見ることができるが
その位置を知っていないと見えないので
土星までが肉眼で見える惑星となっています)

占星術では 肉眼の限界点=物質的限界点として
土星は「(物質的)限界」を象徴する惑星でもあります。

その限界は、制限、時間という言葉でも 表現されます。


土星はわたしたちに「制限」「時間」「限界」を 与え、
「精神的成長」「成熟」を象徴する そんな惑星。

制限、限界という言葉を人は嫌うため
昔の占星術では土星は厄星でした。

今も時間をかけることや 制限は嫌われがちです。

でも、わたしたちは「制限」「限界」「時間」 の中で
成長するもの、養われるものがあります。

成熟した美しさ。

地に足をつける力。
グラウディングの力。
根を張る力。

 

もちろん、制限や限界を簡単に超えるものもあります。
それは、「直感」やエネルギー、音楽。

直感はもともとあるもので
いつでも使うことはできますが
「限界」を感じる(訓練する)ことによって
より引きだされるものでもあります。


芽も根がどれだけ張れたかによって
太陽(たましい)に向かって伸びますし

実(木星)がなるのも根が張れていれば
たくさん実をつけて人と分かち合えますし
実がたくさん成っても倒れることはありません。

土星の恩恵とは 目に見えないものですが計り知れません。
逆行期間は、土星の働きが強まります。

人生を耕したり、できあがったものを磨いたりする時間です。

 

その恩恵は人間的成熟として

長い年月をかけて現れます。

 

土星の学びは「時間」にあります。

この世には「時間」を通じてしか

学べない、収穫できないものもあります。

 

「時間」は幻想という考え方もあります。

すべてが「幻想」なのです。

 

わたしたちは誰もが「時間」という幻想を

何かを通じて学ぶようになっています。

 

何を通じて学ぶかが人によって違います。

もちろん、飛び越えることができる領域もあります。

 

土星の学びとは毎日のトレーニングのようなものです。

人は毎日トレーニングすることを嫌がります。

 

トレーニングというと煙たがられますが

わたしが思うに土星のエネルギーは

毎日些細なことを意識的に行うことだとおもいます。

 

それがいざというときの力になる。

 

輝いて生きる人は 毎日、なんの変哲もない習慣に
ある種の神聖さとも言えるこころを持って 行っています。

意識的です。

この意識的であることがどういう感覚かというと
たとえば 今日は特別な日だったり、 神社に行くとき、
人は神聖な気もちを持ち その準備をします。

その朝は、いつもよりも早く起きて
身支度もきちんとして
空気の感触に敏感になるものです。

そんな風に 特別な日を迎えるように
毎日の習慣を行うこと。

今日という日は二度と来ない大切な日です。

難しいこと、特別なことなど
何ひとつする必要ないのですが
この簡単なことが人はなかなかできないものです。

根っこが張れているかどうかは 土の下ですから
人からは見えないものです。

今在る習慣を神聖な気持ちで行ってみる。

歯磨きだっていいんです。

 

意識することは人を磨きます。

ある種の儀式のようなもので

歯磨きひとつにも神社にお参りにいくような

神聖さがあります。

 

その神聖さに触れること。

ていねいに生きることとは日々の神聖さに触れること。

それは、結局内なる神性に触れます。

 

日々、磨かれていく中に
生まれる美しさ。

 


自分の大切なこと

 

注ぐべきところにエネルギーを注ぐ生きかたが出来る人は
「自分の習慣(ある種の儀式)」を大切にします。

今日一日の習慣が
残りの人生で注ぐべきことや
原点、志につながっていることを知っているから。

本気になって生きると
原点(源)にいつもつながっている。

源につながっていると
今日何をするのか
パートナーとどう接するのか
休むのがいいか
動くのがいいかも
人に聞かなくてもわかる。

毎日ひとつひとつを完了させる意識をもって
習慣をつくっていくと
それは見えてくる。

 

 

土星パワーを味方につけて

太陽の道へ。

 

 

 

ルミナ