先日、あるクレジットカードを解約しました。
年会費が高額の割に、ほとんどメリットを感じることがなかったカード。ただ見栄を張りたいがために会社が苦しくなっても持ち続けたカードです。
一般カード時代からアップグレードしながら約20年持ち続けたカードを解約するのは正直寂しく悔しい感覚がありました。
このカードを持つのが似合うような収入を得られるまで頑張るぞ!
などと思っていましたが、
ある日、「???・・・!!」
そうやって見栄を張っていることが恥ずかしいような、その見栄が進路を邪魔しているように思えてきました。
解約するためにコールセンターに連絡したら普通に引き留められました。
「20年間の信用がもったいないです」「継続して利用していることで、見る人が見ればステータスが伝わります」
私も長く継続したものを手放すことには抵抗がありました。でも結局は解約しました。
客観的に考えれば、こんなプラスチックのカードがステータスの証なんて思えません。
そのそもステータスって何なのでしょうか。
見栄を張っている姿は、傍から見えれば滑稽でしかありません。
でもそうしたい気持ちは抑えることはできても完全には消せないのです。何故でしょうか?
何となく思えることは、見栄を張りたい欲求を持つことは人間の性で、それによって感じる嬉しさ、恥ずかしさ、違和感、焦燥感、自己嫌悪、敗北感などというものを味わい、乗り越えていくことが人生の中にある修行のひとつなのではないかということです。
そう考えると、そんな見栄っ張りな気持ちも可愛く思えてきて、それを満たそうとしたり、抑えようとしたりして、自分の感情の動きを冷静に観察することができます。
人間って面白いものですね。
最後にカードにハサミを入れるときは、少しグッときました。
「これまで見栄を張らせてくれてありがとう。」
さて、会社は新年度を迎えました。
現在は私の中のもうひとつの見栄の象徴であったオフィスの移転を考えています。
現在のオフィスは、数年前には10人前後の社員ががやがやと仕事をしていたのですが、最近は仕事の減少や客先に常駐する技術者の割合が増えたことで徐々に人が少なくなり、現在は空気のために家賃を払っているような状態です。
それでも、少しずつ大きくしてきたオフィスを退去して、縮小移転することは、敗北感があってなかなか決断できずにいました。
でも、カードの件と同じく、そのことが進路を邪魔しているように感じたため、見栄を捨てて(実際には捨てきれていませんが)退去することにしました。
移転先はまだ決まっていなくて、候補として小さくて安いオフィスを何件か見学しています。
そこから帰って自社に戻るたびに、今のオフィスの立派さに感心し、そのことに感謝する気持ちが湧きます。
これまで当たり前と思ってきたものが、急に愛おしく思えて、涙が出そうになります。
私のオフィス君、これまでいつも良い環境においてくれて本当にありがとう。
最後は寂しい状況を作ってしまってすみません。
またいつか会おうぜ!