注意すべき揚水ダムの存在。
 最近作られるダムの多くが、この揚水ダム。夜間に運転を停止できない原子力発電、その深夜電力を使って、夜間に水を汲み上げる仕組み。水を揚げ るのに10 0万kw、落として得られるのが75万kwと、たいして効率的でもない。それ以上に、揚水ダムは、原子力発電の無駄を取り繕う為に産まれたもの。
 発生した熱量の僅か1/3しか電気に変換できない原発、残り2/3は温排水として海に廃棄。夜間はまた過剰生産、その解消策としての揚水ダム。
 原発と抱き合わせの揚水ダム。そこに群がる鹿島、清水、間などのゼネコン。通産省、建設省、科学技術庁、電力会社、建設会社が、よってたかって税金と電気料金とを喰い潰している。
 欧米の原子力産業の崩壊、ドイツ最大の電力会社社長、コール首相に原子力からの撤退を提言。
 地域独占の日本の電気産業、政界腐敗を種を撒き、時代に逆行し、高慢な姿勢を崩さない。独占企業の傲慢体質は世の習い。
動燃の歴史。
 1956、三菱グループ、原子燃料公社を設立。
 1967、原子燃料公社、動燃と改称。初代理事長に井上五郎が就任。岩崎の近親者。
 動燃とは、電力会社、原子炉メーカーの隠れ蓑としての存在、現実にはそれぞれの出向社員で構成されている。
 1984、プルトニウム計画の発表。プルトニウム抽出が本当の目的で、国も無制限に予算を投入。
 平岩外四・電事連会長時代、電気産業の独占制を良い事に、暴利を貪る企業方針を継続。
 1995.12/8、もんじゅ・ナトリウム火災事故。プルトニウム生産の口実を失った東京電力、苦しまぎれに、柏崎と福島で、ウランにプルトニウムを混ぜて使う「プルサーマル計画」があると発表。六ケ所村のプルトニウム生産を推進。
 電力会社の言いなりの自民党。橋本総理、福井、新潟、福島の三県の知事を呼んでプルサーマル計画の押し付け。
 東海村爆発事故、六ケ所村の存在意義も自然消滅。
 4/、動燃=東京電力の組織ぐるみの隠蔽工作が暴露、動燃解散へ。
 蓮實総長、東大原子力学科を廃止。世界的な原子力離れの流れ。
 今後の懸念は、人材低下による事故続出と、原子力産業が投げ出す高レベル廃棄物の処理。
 プルトニウム計画の破綻は、計画発表時から明らか。10兆もの投資、回収不能の無駄金。
 現在の六ケ所村、今も進む2兆円の再処理工場建設計画。ゼネコン各社が群がり、行革四天王の諸井敬らがコンクリートを深い地底に流している。日本全土の新幹線網が簡単にできるという金額。
 これが愚を極める日本の電力会社、世界一高い電気料金の正体。こんな不経済な電気屋の番頭・平岩外四が経団連の会長を勤めていた。
 (所感、単なる計画の失敗か。失敗を見越して、議員、官僚、業者が喰える巨大計画をぶち上げただけなのか)
1997.5/22、全日空会長・若狭得治、日本航空協会会長に就任。前任者は三菱財閥番頭の荘田泰蔵。
 その息子・荘田泰哉、動燃理事に就任、福井県敦賀市にもんじゅ建設。

 荘田泰蔵の略歴。
 戦後、三菱重工副社長に就任。
 1953.11/5、誘導弾懇談会副会長に就任。新東京国際空港計画委員長として、千葉県成田村の土地を強制接収、成田闘争を引き起こし、予算空費に輪をかけた責任者。

 三菱重工、プルトニウム生産への流れ。
 1937、三菱重工名古屋航空機製作所、国産機「神風」をロンドンまで親善飛行。零戦開発への足掛かり。
 1945、長崎にプルトニウム原爆投下、米軍の目的は三菱重工長崎造船所の破壊と、そこで働く労働者の殺害。
 三菱重工社長・岡野保次郎、元長崎造船所副所長、元名古屋航空機製作所所長。誘導弾懇談会の会長として荘田を教育。
 1950.6/、朝鮮戦争勃発。
 1951.1/25、ダレス国務長官来日、日米経済提携懇談会の発足。実際は軍事提携。
 岡野、朝鮮特需の受け入れを策定する第二委員会委員長に就任。
 1954.7/1、防衛庁、自衛隊発足。
 1957.5/7、岸総理、「日本は核兵器保有が可能である」発言。
 1960、日米安保条約の調印。児玉誉士夫、右翼と暴力団を動員。岡野、荘田、三菱重工の軍事計画を推進。
 岡野の右腕、河野文彦。神風、零戦を設計した技術者。1961、三菱日本重工社長に就任。1962、日本兵器工業会会長に就任。
 1963、岡野保次郎、ロケット開発協議会会長に就任。=誘導ミサイル。
 1964、戦後解体されていた三菱日本重工、新三菱重工、三菱造船が合併、三菱重工の復活。河野文彦、日本兵器工業会会長。荘田泰造、誘導ミサイル懇談会副会長。荘田泰哉、動燃理事。
 丹羽周夫、元三菱造船社長。1964、日本原子力研究所理事長に就任。
 岡野保次郎の履歴。誘導ミサイル懇談会会長、ロケット開発協議会会長、日本原子力産業会議理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会委員長、日本原子力船開発事業団顧問。晩年は原子力船「むつ」の開発に執着。
 四人の役割分担、国防、ミサイル、プルトニウム。
 六ケ所村の核燃料再処理基地、その主幹事会社は三菱重工。軍事目的のプルトニウム抽出である事は明らか。
 もんじゅの主幹製造会社も三菱重工。
 この四人の後継者が飯田庸太郎・三菱重工会長。