「人の役に立ちたい」
率先してそう思う事は無いんですが、年齢のせいでしょうか、「私にも何かできることがあればやろうかな」ぐらいは思うようになってきました。
それは、自分の人生の時間を自分の生活の為だけにバイトにばかり充てていたからでしょうか。
貧乏のせいでしばらく原動力は対価であるお金だったのですが、生きるためにそうやって生きているうちに何だか面白くないなという気持ちが強くなってきました。
昨今の自然災害ではボランティアの力が復興に威力を大いに発揮しているように見受けられますし、これからの社会というと大袈裟ですが、少なくとも自分の人生の充実度のヒントがそこにあるように思えてきているのです。
かといって遠方の被災地に一刻も早く自ら現地に向かうという心のゆとりはまだ持ち合わせられず腰が重いのが現状で誰かの誘いがあれば動いてみようかなっていうレベルです。
考えすぎでひねくれた考えなのかもしれないのですが、心から「行かなくちゃ」って思えないとボランティアって結局偽善的で利己的になっちゃうような気がして。
だから以前は『ボランティア』という言葉もあまり好きじゃなかったんですよね。
ボランティア活動をしている人が自らボランティア!、ボランティア!と言っているのがなんだか気に食わなかったんです。
世のため人のためにする行動なら自分の中で納得しておけばいいものだからわざわざ周りに口にしていうものじゃないんじゃないかと。
でも『ボランティア』っていう外来語を勝手な自分のイメージで解釈をしているかもしれないので今回ちょっと調べてみました。
すると行き着いたサイトがありました。
http://pref-f-svc.org/archives/7288
そこに書かれているには、勝手に英語だと思っていたんですが、ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ、と読む)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味だそうで、つまり、「自発性」がそのもっとも中心となる性格だということです。
そしてこのサイトを読み進んでいくうちに私の『ボランティア』という言葉に対する苦手意識の原因がわかった一文にたどり着きました。
『日本では、言葉が紹介された時に正確な日本語訳がつけられず、のちに「奉仕活動」という本来の意味とは少し異なる訳語が使われるようになったことから、“自発性”よりも“善い行い”というとらえ方が広がってしまいました。』
これですわ、気に食わなかった原因は!
大人が考え方を押し付けてきていたことに何か違和感を持ち続けてしまっていたんですわ。
またここでも大人ですか。。。
大人に対する恨み節はまたの機会にすることにして、言葉って不思議なもので、言霊という言葉があるように、人間が操る一方で人間を操る側面もあるところを意外とみんな理解していないですよね。
その話もまたの機会にするとして、言葉によって人間に良いマインドが広まって人生が良くなるなら使っていこうかなと若干の心境の変化もありましてこのブログを書いております。
それでもちょっとまだ苦手意識があるので『ボランティア』を私の中では『自主活動』と言っていますが。
話がだいぶそれたので元に戻しますと、つまり何が言いたいかと言いますと、苦手意識がまだ拭えない肉体的、物理的なボランティアに対してはまだ腰が重いけれどそれ以外に現状の私ができる事を考えていたわけです。
体力も知力も取り柄もなくものを教えたり諭すこともできない、しがない芸人が世間様でできそうなことを。
そこで大阪の同級生が力を注ぐ地域活動を思い出しました。
https://www.facebook.com/yokottyoza/
一例を出すと彼は子供が漫才をやったりする場を提供しています。
私もそこの一端で表現のお手伝いならできるかもと思い、彼に申し出て『大喜利サークル』を主催させてもらうことになりました。
脳って一方向の思考だけしていると結構危険だという私の持論があって、『大喜利』による人前での発想の開放を通して、個々の仕事や勉強その他にもしかしてひょっとしたら役に立つかもしれないという思いつきからです。
現時点、まさかのコロナウィルスの影響で無期限延期状態ですが、開催が決まりましたら改めてお知らせさせていただきますので、大阪での開催ですが、興味のある方はどしどしご応募ください。
また、他の地域での開催のご要望がありましたら検討させていただきますのでお問い合わせいただければと思います。
