ハローケイスケの ねるあそぶたまにくう

ハローケイスケの ねるあそぶたまにくう

吉本興業所属のピン芸人、ハローケイスケの暮らしの読み物です。

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観に行かざるを得ないでしょ。

 

あんな終わり方しちゃって。

 

テレビアニメシリーズの方の話です。

 

しかもオンエア組じゃなくてNetflix組は余計よ。

 

去年まだ映画が上映するもっと前、

面白いという評判は知っていたので、

一度腰を据えて観ようとしたものの第一話を観たところで鑑賞放棄した作品なんですが、

再チャレンジでは割とすんなり一気観しちゃったのにあんな終わり方されちゃあ、

そりゃ続きを観ないわけにはいかなくなっちゃいますよ。

 

最終話観た時点でまだ上映中だったし。

 

上手いこと考えたもんですよ。

 

この手法今後流行っていくんじゃないですか。

 

という事で、一気観の流れでストーリー忘れないうちに観てきました。

 

そもそも、第一話を観たところで続かなかった私がなぜまた観てみようと思ったかというところから。

 

正直言うと主題歌まで流行った上に海外でも大人気だったから…とかはどうでも良かったんです。

 

それは普段政治や世界情勢など真面目な話をするようなある方が、

『鬼滅の刃は武士道の精神を描いている』

というニュアンスの事を言っていたのを聞いて、

ただの流行り物から私の中で『鬼滅の刃』が一つ昇華したからです。

 

ただの流行りものじゃない正体、私が色眼鏡でやめてしまったものにあるなら、確認しないわけにはいかないでしょうよ。

 

テレビシリーズを数話観たところで人気の秘訣の一つは分かりました。

 

それは漢字二文字で言うなら『悲哀』じゃないでしょうか。

 

例えるなら刑事ドラマ『相棒』と同じだなぁって。

 

子供のみならず大人まで惹かれてしまうのはただの勧善懲悪じゃないからですね。

 

悪役とヒーローが毎話毎話やかましく戦うだけなのは嫌だなあと思ってたんですが、

 

悪役の鬼が死滅する前に根っからの悪党ではない事が判明するシーンの尺が長めに取られていますね。

 

何だったら、そこ待ちの人もいるんじゃないですか?

 

その終わり方中毒の方少なからずいると思ってます。

 

また他の秘訣の一つに、やはりその『武士道』があるんだと思います。

 

或いは、『大和魂』的な発想というんでしょうか。

 

もっとざっくり言うと日本文化。

 

と言っても、それらの定義や具体的なシーンをちゃんと説明せよと言われるとできないので改めて勉強する必要があるのですが、

逆にそういう人たちが多いゆえに自分でもよくわからない心の奥底をくすぐられる感覚というか、

昨今、希薄になってしまった何か欠落しているものへの回帰欲とでも言うのでしょか。

 

例えば、何かにつけすぐに『ハラスメント』で防御しあう人間関係だったり、

 

最近やたらと重宝がって使う『ポリコレ』で縛りあう社会だったり、

 

それを武器に横行するキャンセルカルチャーなどなど。

 

それら大脳新皮質的生活にどこかで辟易し息苦しさを感じている社会背景があるのかなと思ったりします。

 

全く息苦しさを感じず暮らしているって人にはごめんなさい、至って私個人的考察です。

 

それの象徴的なもので、

テレビシリーズで印象に残っている、

『俺は長男だから…』云々

というセリフがあります。

 

これ聞いた時、時代に逆行するかのようなちょっと面白いことセリフにするな、と思いました。

 

因みに私は長男なんでちょっとだけ共感できました。

 

強くないんでほんのちょっとだけです(汗)

 

付け加えてもうちょっと深読みした私の憶測を述べると、

 

ポイントは大正という舞台設定だと思うんですよね。

 

大正は昭和の前で昭和と言えばやはり先の戦争でしょうね。

 

その敗戦前の日本を描くのにどうして、江戸や明治ではなく大正だったのかまでは正直私には分かりません!

 

是非作者に聞きたいあれやこれやの内の一つです。

 

しかし、

西洋文化が折衷している時代でかつまだ息づいていた武士道、大和魂、家族、を描くのにはちょうど良かったのかなと勝手にそう思って鑑賞していました。

 

というのも、鬼という昔話のキャラクターを扱うのに、

人間を指先一つで鬼に変えてしまう鬼のボスキャラは、頭の先からつま先まで洋服を身に纏った随分スマートなキャラクターとして描かれてますね。

 

それが象徴的に描かれているのだとしたら、

その辺りってメタファーなのかなって勝手に妄想したりしてます。

 

追い付け追い越せで西洋文化に対して日本人が持ってしまっているコンプレックスや自虐史観が根底のモチーフとしてあるんじゃないかと。

 

作者は、

もっと自信もっていいんじゃないの日本文化!

日本を守っていくのは元々あって長い間培ってきた素晴らしい日本文化じゃないの?!

って言ってるのかなって。

 

子供にとっては昭和平成令和と時代が過ぎてそれらを教わる機会も大人もいない状態で、

観終わってなんだか凄いものを感じて後々それが実は武士道だったって紡がれていって欲しいと思ってるのかなって。

 

それにしても、映画館で前の座席に座ったのが年配の女性の方二人組だったのを見て、

 

『この映画すごい!老若男女に響いてる!』と思いました。

 

その淑女方がどういう思いで映画館に来ていたのかは分かりません。

 

もしかしたら単に孫と話を合わせられるようにという安い動機かもしれません。

 

或いは女性ならではの何か感銘を受けた上でしょうか。

 

或いはすっかり弱い男が増えた世の中にあって強い男を観に来ていたのでしょうか。

 

『鬼滅の刃』の魅力はいくつもあれど、

 

穢れを自覚している大人は男女問わずこの作品を観る度に主人公に救われているに違いないと感じています。

 

『弱くてずるくて利己的でごめんなさい、炭治郎ありがとう』と。

 

中盤で、まるで映画『マトリックス』のメッセージを端的にまとめたかの様な壮絶なシーンも観る側の胆力を問うてきますので、

心洗われたい方は一度観てもいいと思います。

 

それにしても、映画観終わった時、再度やられました。

 

『完結せんのかい!』って。

 

後で調べたら次のシリーズ『遊郭編』が今年テレビで放映らしいですね。

 

更に驚いたことには、作者は女性で平成育ちの若さらしいですね。

 

益々、作者の方の背景を知りたくなりますね。

 

※あくまでテレビシリーズと映画だけしかみていない現時点の私個人の見解で、原作漫画を読まれている方からしたら何とんちんかんなこと言ってるんだという内容になっているかもしれない事をご了承ください。