民主党政権がその存在を追及し、探しても外務省で見つからなかったあの文書が


沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が1969年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが今日、遂に明らかになりました。


草案などで密約の内容はすでに分かっていましたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めてで、決定的な証拠が明らかにされました。

密約は1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。
返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が1994年に自身の著書でその草案の写真とともに明らかにしていました。

今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられます。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」との記述があり、今回の密約文書の署名はこれと符合しています。

この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっていて、この調査では「外務省には保管されていない」という結論に達していました。

密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていなかった真相と考えられます。しかし、両首脳の署名が残っていることから、米側はこれが有効な公文書であることを認めている可能性が高いでしょう。

佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかったとのこと。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられています。

佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた1969年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。

佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。

やはりこの時に、マスコミを通じて世間に公表すべきだったと思います。

自民党政権時代の歴代内閣が、野党からの追及に対し、否定してきたのは、国会で嘘の証言をしてきたことになりますむかっ

谷垣自民党総裁には、野党に下った今こそ、自民党として過去の党首の偽証を認め、国民に詫びるべきだと思います。

これが出来ないようなら、自民党の復権は永遠にないでしょう。


【解説】
『沖縄核持ち込み密約』とは?

1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した機密文書。

首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。

若泉敬・元京都産業大教授(故人)が1994年に出版された著書本「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で文書草案の写真と共に内容や経緯を明らかにしたことにより、野党が度々、国会で自民党内閣に質問し、密約の存在を認め、公表するように追及したが、自民党政権はこれをかたくなに密約の存在を否定していた。



谷垣自民党総裁、どう応えますか?

それとも、最後の政権担当だった麻生太郎前首相が、自らついた嘘を詫びるのが先かなべーっだ!