涙を馬のたてがみに心は遠い草原に… -i.jpg

カール大帝の金の胸像(アーヘン大聖堂宝物館)


愛馬オッティマルーチェが出走していた中山8Rを一番人気に応え快勝したシャルルマーニュは、フランス語で、『カール大帝』のこと。祖母ダイナカール(オークス馬)から命名されたのでしょう。

昨日ステイヤーズSで重賞初制覇を飾ったフォゲッタブルの母は女傑エアグルーヴで、祖母は同じくダイナカールです。


12/6(日)中山8R
3歳以上1000万下
D1,800m 晴れ晴■重
遊園地 着順
1着 4枠8番
シャルルマーニュ
牡3 黒鹿 482kg(+4)
騎 蛯名正義(56.0kg)
調 勢司和浩[東]
1:51.3(37.7) 1人気
 ④④⑤②

2着 1枠2番 3
オウロプレット
牡3 青鹿 478kg(-10)
騎 国分優作▲(53.0kg)
調 久保田貴[東]
1:51.8(38.6) 2人気
 ①①①①

3着 4枠7番 クビ
タイキジャガー
牡3 鹿毛 472kg(+2)
騎 吉田隼人(56.0kg)
調 伊藤圭三[東]
1:51.8(38.4) 8人気
 ④④④②

ドキドキ血統
父フレンチデピュティ
│ (ヴァイスリージェント系)
├Deputy Ministe
│├Vice Regent
│└Mint Copy
└Mitterand
├Hold Your Pe
└Laredo Lass

母マリーシャンタル
│ (ヘイロー系)
├サンデーサイレンス
│├Halo
│└Wishing Well
└ダイナカール
├ノーザンテースト
└シヤダイフエザー

産地 早来町
生産者 ノーザンファーム
馬主 吉田勝己
メモ馬名の由来
カール大帝(仏)


■カール大帝
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

Karl der Gro e
フランク王
西ローマ皇帝

在位 768年 - 814年
西ローマ皇帝:800年 - 814年
戴冠 800年12月25日
出生 742年4月2日
アーヘン
死去 814年1月28日(満71歳没)
アーヘン
配偶者 ヒミルトルーデ
デジデリア
ヒルデガルド
ファストラダ
ルイトガルド
ゲルスヴィンデ
子女 カール
ピピン
ルートヴィヒ1世 他多数
王朝 カロリング朝
父親 ピピン3世
表・話・編・歴

カール大帝(カールたいてい、742年4月2日 - 814年1月28日、アーヘン)は、フランク王国の国王(在位:768年 - 814年)。カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン、714年 - 768年9月28日)の子で、カール1世ともいう。768年に弟のカールマンとの共同統治(分国統治)として彼の治世は始まったが、カールマンが771年に早逝したため、以後43年間、単独の国王として長く君臨した。800年には西ローマ皇帝(皇帝在位:800年 - 814年)を称したが、東ローマ帝国からは承認されず僭称とみなされている。



カール大帝は、ラテン語ではカロルス・マグヌス(Carolus Magnus)、ドイツ語ではカール・デア・グローセ
(Karl der Gro e)、フランス語ではシャルルマーニュ(Charlemagne)、英語ではフランス語綴りを英語読みでシャーレメイン、または英訳してチャールズ・ザ・グレート
(Charles the Great)、イタリア語ではカルロ・マーニョ(Carlo Magno)、スペイン語ではカルロマグノ(Carlomagno) 、ポルトガル語ではカルロス・マグノ(Carlos Magno)、トルコ語ではフランス語綴りを音訳してシャルルマン( arlman)という呼び方をする。
日本ではドイツ語風にカール大帝と呼ぶことが一般的であるが、フランス語風にシャルルマーニュ
と呼ぶことも多い。これは、カールが後にフランク王国から分かれた神聖ローマ帝国およびフランス王国の歴史において重要視されており、ドイツ史とフランス史の中で共に偉大な国王とみなされているからである。また、古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現した人物として評価されている。