12月1日土曜日に プロ野球ヤクルトスワローズのOB、杉浦・青柳・五十嵐の3選手が指導する
少年野球教室が開催されました。
場所は荒川区総合スポーツセンターに隣接する「南千住野球場」
この地はかつて、わが千葉ロッテマリーンズの前身、
大毎オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズの本拠地『東京スタジアム』があった懐かしい場所。
自宅からそのナイターの灯を見ることが出来た少年時代、よくここに通い、
その中でも村田兆治投手衝撃のデビュー登板を見たのを鮮明に覚えている
私財を投げうって下町の野球場を完成させた永田雅一オーナー最高の日は
1970年パ・リーグ優勝を東京スタジアムで決め、歓喜のファンがグラウンドになだれ込み、
選手と共に真っ先に永田オーナーを胴上げした瞬間だった。
監督や選手より先にオーナーが胴上げされたのはプロ野球史上初、MLBを含めても 空前絶後であろう。
そんな昔のことは一生懸命に指導を受ける少年たちはもとより、引率の父兄も殆ど知らないだろう。
主催者を代表して自分が挨拶をした
この催しは業界団体が取引先のヤクルト販売会社と共に企画した社会貢献事業の一つ。
3人のOBは現在ヤクルト本社の社員です
さて、指導が始まった。
ヤクルト日本一となった1992年のシリーズで逆転サヨナラ満塁ホームランを放ったかつての四番杉浦亨選手(55)の熱烈打撃指導
前出・まさかり兆治の剛球も受けたロッテ→ヤクルトの青柳進捕手(39)はロッテ時代に月間MVP、ヤクルトでは控え捕手そして代打の切り札として4割を超える打率。
ヤクルト退団後アメリカに渡り、独立リーグあのクロマティ監督が率いるジャパン・サムライ・ベアーズで奪三振王のタイトルを獲得した五十嵐貴章投手(30)青柳によるバッテリー教室。走塁などの指導などもあり、あっという間に予定の3時間が過ぎ閉会式となった。
記念品として「18年間ありがとう」と書かれたヤクルト古田敦也選手兼任監督(42)のサインボールが
一人ひとりに配られ皆大喜び
また抽選で鈴木健選手のサイン入り愛用バット星野ジャパンに選ばれ台湾で北京への切符目指して
当たった子供には羨望の眼差し
杉浦さんが6年後のドラフト候補と絶賛の攻走守揃った6年生の左打者は既に170cm以上の恵まれた体格。
少年(少女も3人)たちとご父兄は満足して帰っていった