(地球界支部の関係者様)

こちらも重要な関係部分であるにも関わらず本文になかったので書いておきましょう。
現在でも既に性以外のものに性よりも熱中している方々が居ますが(例えばゲームなどかもしれませんね)。

上位次元の存在がテレパシーのようなものが使えるとはよく言われていますが、快の波の波動を送れるそうですね。
sora様が既に主らの層から受け取れたことがあるそうで。簡潔に快と言ってますが言葉では表現しづらくその感覚に近いものなのでとりあえずそれが近いとの事で。

魔法すら超えたような力ですが、この力自体は近い上位次元層の存在も訓練すれば微弱なものは使えるそうです。
なんでしょうかね、愛でしょうか、エンパシーを進化させたものかもしれませんがそちらの上位次元の世界でも高貴な力ともされているという説があるのですね。一説では。それとも主らの層のそれが特殊なのかもしれません。
sora様も仰るのですが、相当遠い位置にあるにもかかわらず、確かに認識できた時にはこの世(3次元地球世界)のものがどうでもよくなり、そちらに最良のものと全てを想起できるとのことで、先の魅力が飽きない事にも繋がるのかもしれませんが、それでも多すぎで逆効果になり危険ということもないようです。むしろ危険になっているのはこの世界の方とも、私は予想しました…。
主らはあちらでも省略しますが、どれほどのものがあるか分かりませんが元々は高貴な層だったと言います。しかし我々が知れる範囲では主は一般の層とも言えるあちらのsora様と今ではその提携的な関係になっていると。
逆にあちらのsora様は意志なのかそのような方向性志向なのか畏怖のようなものを感じると言います。どちらかというとこの世界の存在そのものに近いと。もちろんあちらのsora様もそのようなオーラがなくはないともsora様は言います。
しかしでしょうか、おそらく今はその時でないと、少なくともこの世界に対してはそのような畏怖的な、しかし実際には知られていませんがそのような態度を持って取り組んでいるのだと思われます。とはいえ私も知っていますが大変人間味があり私よりもラフな方で知的で頼りがいがあるような雰囲気でしたね…。この二方がおられる以上は我々は安心して付いていけるのだと思います。恐怖や虚無や物質的苦痛や無の感覚にあっても、少なくともこの方達とET様らのその意識を信仰し続けなければならないと思うのです。そうでなければ我々にも何も残らないと思いますから…。
我々も元々は目覚めるまでは、もしくはその事に気付くまで同じ、シンのない存在でしたから。

(シンは外国語圏ではsinともとれ、新、真、心、芯、清、信、神、などとは違い一般的には一方向の真逆の意味にもなりますが一神教的と多神教的な側面の違いだと考えればよろしいかと思います。こちらに関してのお話は神の主の言葉をお探しください。もしsinの方をとりたければ一般的にはsinと書いていたでしょう。しかし上記の話にある通り、それがどんな形なのか、という事は分かるかと思います。外国語的な解釈をすると目覚めたことが罪になってしまうのですね。日本語ではそうなります。逆に意味の方では日本語からすれば外国語では複数に別れます。しかしこのような表現はこの言語しか出来ません。世界で最も同音異義語が多い言語だと言われています。これは偶然でしょうか?曖昧な表現も日本語には多いです、並び替えで意味も通じます。

日本語を褒める訳ではありませんが、少なくともこのような面においてその多元性やマイルドな表現、ストレートな表現や苛烈な対立を避けた調和性、簡易的なコミュニケーション性より文学的な複雑性のような形を表現するのに優れている言語であると言えます。ですが文学的な場面では日本語、会話的な場面では英語という使い分けが、一方だけを使うより表現の幅や多様性が広がり私は良いと思います。取得は難しいかもしれませんがテクノロジーや学習法の利便性がやがて可能にしてくれるかとみています。世界共通言語のようなものでもいのですが言語自体は複数あった方が使える表現がが増えて良い派です。この意見には他の方も賛同していましたね)

ET様もそれを感じていますし、畏敬や尊敬の念を忘れず謙虚な姿勢を無暗に、完全に捨てきれないのも全てはやはり潜在的なその形を感じ取っているからだと思われます。今では私も逆になり、特に主は事実上のそのままの形で畏敬するようになりました。この3次元地球世界ではやはり厳しさのようなものも捨て去ることはできないのだと思います。
逆にそちらの方と繋がる事が出来れば、正規コンタクトに成功すれば、その時この波動から我々の格は抜け出せるのだろうと思います。光が近くに来ていることは我々にも感じ取れていました。

今はお互いそれぞれの余裕の時間を作ることを意識しましょう。
それでは可能な限り、参ります。