連日の抗がん剤治療無事終了と退院見込みが…… | 学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

いじめにあって不登校になり、父とホームスクーリングですごした女の子、ちゃりこが日本各地を自転車で旅をして、たくさんの人たちとふれあい、成長していった記録。腐りきった学校、卑怯な教師、そんなものは捨て去ってもいい。人の優しさ、親切、は学校の外側に必ずある。

私の抗がん剤治療は、二日間連日となるのが基本。

一日目は、ステロイドからメイン抗がん剤のイサツキシマブ、さらにサブ抗がん剤のカルフィルゾミブと続き、合間に錠剤やブドウ糖、生理食塩水を入れたりする。

二日目は、ステロイドとカルフィルゾミブだけ、間にブドウ糖は入れるけれど。

体の負担、時間の負担は、一日目に比べると遥かに二日目は楽である。

それでも、二日間で1セットの治療だから、それなりの緊張感はある。

昨日の記事で、今夜は眠れそう、なんて書いたけれど、一日目クリアした昂りからか、ステロイドの興奮剤としての効力からか、眠れたのはわずかに一時間半だった(笑)

体力、大丈夫かよ。

 

今朝は採血から。

そして、控えめにした運動は、ウォーキングは10本のうち小走り5本。

エアロバイクは7分を2本にしておいた。

朝のうちに、「パン屋再襲撃」を読み終えて、早々にシャワー浴を済ませ、10時には24時間水分点滴を交換して、ステロイドの点滴も開始。

朝の採血の結果も届き、昨日の抗がん剤投与による副作用で、赤血球、白血球、血小板とも値の低下があったが、これは想定内範囲。

30分でステロイド点滴は終了し、ブドウ糖点滴で流す。

11時に主治医がやってきて、午後に赤血球輸血を、明日は血小板輸血をやるけれど、想定内と再確認。

また、近いうちの退院と、以後は私の体力があれば通院だけでの抗がん剤治療も可能ではないかと言われた。

そして、ちゃりことの自転車旅行にあわせての休薬週を当ててくれるとも話してくれた(涙)

11時半から抗がん剤のカルフィルゾミブの点滴を始めた。

血圧安定、体温は37度代半ばまで上がったけれど、12時過ぎに終了時には37度ちょうど。

昼食を摂りながら、ブドウ糖点滴で流しておしまい。

担当看護士さんとグータッチ。

椅子に座ったままでの抗がん剤点滴治療で二日間終わった。

読書もかなり進み、村上春樹の「TVピープル」を読み始めた。

その後、薬剤師さんが服薬の説明に来て、1時15分から、赤血球の輸血が始まった。

輸血中のバイタルチェックで、体温は36度代に下がって、血圧とともに安定。

これも座って読書しながらで輸血を進めた。

抗がん剤が終わっていたので、心電図も取り外し、4時前には赤血球輸血が終了、生理食塩水で流すとともに、24時間水分点滴も終了となり、点滴スタンドからは解放された。

明日の血小板輸血のために、針だけは一本刺さっているけれど、ルートチューブを畳んで腕にネット包帯で固定してあるので、看護士を呼んでチューブを外してもらわなくても、自分だけで自由に上のTシャツやオープンシャツを着脱できる。

これが楽なんだよ…… うれしいんだよ……

少し冷えると一枚羽織る、少し暑いと一枚脱ぐ、エアロバイクをこいで汗をかいたからTシャツを取り替える、夜中に寝汗をかいたからTシャツとオープンシャツ二枚を取り替える、これをいちいちナースコールを押して輸液が流れてくるルートを外してもらわないとできないことの不自由さ……

そこからの解放(嬉)

大型テレビのルームで、副作用で脱毛してしまったからだろう丸刈り頭にしている女性患者さんとお話する。

昨年冬に出先で転倒して頭を切って流血、緊急搬送された病院で血液が異常だと大学病院に転院して詳しい検査をして、こちらに移ってきたらしい。

白血病で、臍帯血移植を行なうため、まもなく移植室にほぼ監禁状態となり、ここ無菌病棟でも廊下にも出れなくなって、一ヶ月くらい過ごすそうだ。

火野正平の“にっぽん縦断こころ旅”を観てから、夕方の小走りランニング。

病室で、命の危機のときの担当看護士さんに、通院だけになるかもしれないので、挨拶をした。

彼女は、10月に男の子が産まれる予定の妊婦さん、元気な赤ちゃんを産んでほしい。

夕食後に、エアロバイク10分を2本だけ。

さすがに今夜こそ、眠れるだろう……

それとも、また、読書に熱中してしまうかな……

退院や通院のみでの抗がん剤治療が見えてきたことで、ちゃりことの17年連続での“アレ”、もちろん自転車旅行が、輪郭をはっきりと現してきたような気がする……

もちろん、まだまだ病状の浮き沈みはあるだろうけれど、

がんばるぞ!