休日になると、マサハルとよく散歩をする。
散歩コースのひとつに、
ママコフが通っていた
小学校の前を通る道がある。
ここを通るたびに、
なんとなく安心する自分がいる。
ああ、ママコフはもう小学生じゃないんだ。
時は確実に過ぎているんだ。
こういう気持ちが
いつもぼんやり湧き上がる。
40手前で結婚し、いきなり小学生の母親を
することになった私。
「学校」なんて何年も縁がない生活をしていた。
初めての保護者会。
初めての面談。
ものすごく緊張した。
周りのお母さんは一番短い人でも
約9年間は「母親」をやってるわけで、
そんな中に新人の私がぽつり。
会社でいえばベテラン社員の中に
畑違いの人間が入社して
同じ、もしくはもっと完璧に
仕事をすることを求められてる、
そんなプレッシャーを感じていた。
ママコフはとても手のかかる子で
お茶をコップに入れるのでさえ
コップ選び、お茶を入れる量を一緒に考えて
横について見ていてくれという
かまってちゃんだった。
気でも狂ったのかと思うくらい
機関銃のように話し続けたり
急に奇声をあげたり
とにかくじっとしてるということがなく
常にガサガサ動き回っていたり
後追いの時期をやり直してるのかと思うくらい
ずっとついてまわったり。
この子は普通の子じゃないと思った。
とにかく、自分の子供時代を振り返っても
理解できない行動が多かったのだ。
5年生になってギャン泣きがなくなり、
少しましになったように感じるまでは
とにかく毎日が地獄で疲れ果てて、
家にいるのに落ち着かなくて。
しょっちゅう吐いてたあの日々。
今になれば、ママコフも環境が変わり
適応するのに苦労しただろうなと思えるし
今、当時のママコフくらいの年の子をみると
まだ「子供」で、
私は精神年齢の低いママコフに
年齢以上にしっかりした子を
求めすぎていたんだな、
と反省する部分もあるけど
当時の私はそこまで思えるほど余裕がなく、
とにかく毎日、
「もう無理。もうイヤ。」と思いながら
その気持ちを表に出さないように
必死だった気がする。
これまでの人生の中で
一番つらくて、一番頑張った時期だった。
あの時期が確実に過ぎたんだ、
もう二度とあの頃には絶対に戻ることはないんだ、
そう感じさせてくれる小学校。
今、まだ小さい継子を育てている
継母さんたちのストレスは相当だと思う。
我が子よりも継子に気を使いながら
安定剤を飲みながら
必死で頑張ってる継母さんたちも沢山いる。
妻になっただけで
相手が子供というだけで
いきなり継子を母として愛するなんて
絶対無理だ。
それを色んな人に当然のように
求められるけど
どうか、自分だけは
自分を追い込まないでほしいと思う。