ちょっと小説のタイトルっぽい?

 

空気が乾燥すると河原で葛を採集して湯通しして下ごしらえをして編みます。

 

カットした干し柿が乗っているのが1つ目、何も乗ってないのが二作目です。

 

両手いっぱいの厳選した葛の蔓を取ってきても40センチくらいのザルを編むと無くなります。

 

普段日付というのを全く気にしていないので今日が16歳で他界した高校の友人の誕生日だとブログ仲間の人のブログで気づきました。

 

その方はお母様の命日ということでコメントでご冥福をお祈り申し上げました(でもとんちんかんなコメントなのかも?)

 

他界した友人は二小の出身で私は三小でした。

 

三小の全部と二小の半分だけ三中に来ます。

 

なので中学3年プラス亡くなる年の高校一年生いっぱいの付き合いでした。

 

彼の家は線路の向こうにあり、学区の中では外れで遠い道のりを歩いて通っていました

 

私の家は三小学区の外れにあり彼の通学路の途中にあり、よく彼を含む友人が立ち寄っていました。

 

中学の半ばくらいから彼の通う塾に一緒に行くことになり、よく塾をサボって先生に怒られたりしました。

 

高校にも無事に受かり同じ高校に進み、後一ヶ月ほどで2年生に上がれるというときに突然もうひとりの友人が顔を真っ青にして

 

クラスに飛び込んできます。

 

Mが体育のマラソンゴール直後に倒れて救急車で運ばれた。と緊急の全校集会があるからその後すぐに体育館に集まりました。

 

午後の体育の授業でM君が倒れ救急車で運ばれ先程亡くなったと。

 

辺りを構わず泣きました。

 

どうやって教室に帰ったか、その日どういうルートで家に帰ったのかも覚えていないです。

 

彼の時間は16歳で止まり、私のは進み老いを体感できるくらいになりました(笑)

 

彼の死以外にに知っているだけで数名、同級生が他界しました。

 

一番最後に知ったのが全国放送のニュースで夕方料理をしていると妻が

 

「古河で火事だって!」と私を呼びました。

 

一人救助されて二人行方不明と。

 

お母さんは助かり、おばあちゃんと孫の彼女は火事で亡くなったようです。

 

でっかい家に住んでいてもうね、見るからに金持ちでしたが、家庭では色々とあったようです。

 

44年の生涯を火事で終わってしまったのかとその時は思いました。

 

時間が前後しますが、将来を失望して土手の水位計のある欄干にロープを掛けて自死した友人もいました。

 

確か22歳くらい。

 

それからかなりの時間が経ち、停まってしまった時間と動き続ける時間の意味を考える日々が続いています

 

大丈夫心配するな、なんとかなる 一休宗純

 

人生、生きてるだけで丸儲け    明石家さんま

 

と私に響いた先人の言葉を胸に今日も言の葉を紡いだりしています。(でも、昔みたいに毎日書けなくなった年だ)

 

私もおぎゃあと生まれた以上、遅かれ早かれ死にます。

 

死に方(死ぬ環境、状況、場所などなど)を整えるためにどうすべきか?ということが割と身近になりました。

 

昨年、コンビニで働いていたときのオーナーが72歳で。小田原に来てから懇意にしてくださったバイク屋の親父さんもたしか72歳で亡くなっていました(後で聞いたので葬儀などは行けなかった)

 

不幸な家に生まれて呪縛から解き放たれるまで何十年も苦しみ、まだゴールというものも勝利の栄光などもないままに私は死を迎えてしまうかもしれません。

 

でも、まあそれも仕方ないです。

 

先程も週間ルーティンの一つとして新鮮館で安売りの肉を買ってきました。これで一家3人食べていきます(一人は事情があり祖父母宅に下宿中)

 

もし、今最初に書いたMに言えるとすればドラクエ3できなくて残念だったな、でも、ドラクエ3プレイしてもその後の大変さを思うとどっちが得だったのかと俺は言えないなあ。あと数十年経つとテレビもつまらなくなってしまうし、志村けんも死んじゃったよねえ、と。

 

世の中にもみくちゃにされてなんとかたどり着いた場所であっても完璧に素晴らしい場所などないんだな?ということを理解したくらいです。

 

子供が居ない人から見たら恵まれていると思われるかも知れませんが、思い通りにならない人生のためにお金を払えるほど我が家もまた裕福ではないのです。

 

家族には申し訳ないけど、もし結婚しなければ、子供を作らなかったら? と思うともっと苦労しない人生があったのかもしれないな?と思うわけです。

 

昭和のスポ根世代の人だとおそらく「若いときの苦労は買ってでもしろ」というのかも知れませんが、(実際そういう親に育てられた)そういうのが合う人と合わない人といるわけです。

 

多様性を認めよう!という社会が私の思春期くらいにあったらきっと私の人生は今とは全く違う人生になっていたでしょうね?

 

その時は今のような文章力もタッチタイプもPCスキルもなかったのかもしれません。

 

料理も機械いじりもミシンでのスボンの裾上げもない人になっていたのかもしれないですね

 

彼の眠るお寺には最近お墓参りでも入れず、ご住職すら居ないんじゃないか?という事を近所の家具やのおじいさんに聞きました。

 

実家と絶縁状態になり数年が経ちますが、文字通り帰る理由もないので放置プレイです。

 

テレビ番組で北関東特集をやったり川越や大宮が出るたびに夜中に走った国道を思い出すわけです。

 

と、ここに書いたことを他人様のブログのコメントで書くのも失礼だよな?と思ったので記しました。

 

明石家さんまのノリを借りるなら365日(366日)毎日誰かの誕生日で命日、人は生まれて死んでいく そう思えば丸儲けでしょうかね?

 

今日一日生きることができてお天道様に感謝し、ブログ仲間のお母様のご冥福をお祈りし今日の締めとさせていただきます

 

合掌