昨日、知り合いの看護師の方に仕事以外で(いつも仕事以外で会うんだけど)会いました。

 

7つの病院を渡り歩き、共通の知人などがいること、スポーツマンだったことなど。

 

結婚して子供がいるところなども。

 

そして家族がコロナに感染しても私達は感染しなかったこととか。(サウナ最強なのか?!)

 

トラムセットはおばあちゃんが一日四回飲んでる薬のイメージです。と

 

けど、そんなにひどい副作用あったかなあ?と。

 

美人は3日で飽きる ブスは3日でなれるという言葉があるように(おい!)

 

トラムセットも3日で慣れるようで

 

昨日はグラグラのめまいは出なかったようです。

 

痛みは全て消えないけど、起きて仕事に行けているからなんとか。と

 

非常に言いにくいのだけど、私は実は嵐を呼ぶ男で、さらに幸福も不幸も運ぶ男なのです(笑)

 

妻は結婚するときに祖父母が亡くなったらもうここにはようはないからいい所見つけて引っ越そうね!と

 

言ってました。

 

でも、時がたつに連れ「そんなこと言ってももう、引っ越せない!」というようになったのはほんの10年くらい前

 

「嘘つきじゃん」と心のなかで感じてから体調不良や子宮筋腫、今の病やそのたの気圧性頭痛

 

個人的なことですが、私がこちらに来てしまうと言うことは私の両親は私と年に数回しか会えないわけです。

 

娘を地元から出さないと決めたのは向こうの両親ですからそれは私の知ったことではない。

 

ただ、口に出して約束したことを破るというのは言霊に嘘を申すわけですからね?

 

私がいいと思っていても私を見守っている私のご先祖様などはよく思わないかもしれません。

 

私はこちらのお墓参りは行きますが、妻は私の方のお墓参りにはほぼ行きません(遠いのもあるが)

 

息子と娘は機会があったので別々に連れて行ったりしました。

 

我が家は無宗教なので仏壇とか神棚はないですが、なくなった人のことを思い線香をあげられる場所が作ってあります。

 

幼馴染のお父さんの会葬の御礼や最初で最後に仕事をした加須の人がくれためかぶの袋が位牌代わりにおいてあります。

 

近所のおばさんが好きだった塩豆せんべい(醤油じゃない方)も置いてあり、おばさんの言う通り、玄関を片付けました、その説は他人なのにお気遣いありがとうございましたと線香をあげます

 

マラソンで高1のときに他界した同級生、新幹線の高架下で事故の車がすっ飛んできて亡くなった同級生。

 

様々な理由により川の土手の水位計の欄干で首をくくって旅立ってしまった高校の同級生

 

こうやって私が覚えている間はまだ彼らは私の意識の中では生きている。

 

私が誰かに語りその人が覚えていればまだ、その中で生きられる。

 

でも、この世でその人の事を誰も思い出さず覚えてないときに本当の死が訪れるんだよとよくリビングで話す

 

あと50年経って私が肉体的に死んでいたあと、その本当の死は私には訪れているだろうか? まあ確かめようもないのだが。

 

痛いということは生きている証拠だとよく言う。

 

死んだほうがマシだと思う痛みもある

 

私は残された時間、心安らかに生きていたいと思うのだけど、なぜか世の中も地球も周りも騒がしい。

 

前のブログにもちらっと書いたかもしれないが、死の瞬間「まあまあ楽しい人生だった」と思えるような人生を送りたい

 

言葉で人の恨みを買ったり怒りを暴発させるようでは本当はいけないのです。