昔、とんねるずが保毛尾田ほもお(漢字失念)というキャラで笑いを取っていた。

 

私の人生ではつい、この間のことのようだ(実は10年分記憶がないので)

 

同性愛が異端で肩身の狭い思いをしていたのも平成の後半くらいまであったような気がする

 

いつしか、いつからか多様性を認め合おうよ!という時代に入った。

 

性的指向の自由、自分がLGBTQであることの告白、カミングアウト。

 

信仰する宗教やそのたの方向性、趣味、エトセトラ

 

私は今だにプールに行き、ニコニコしてると「お子さんできた!?」と聞かれることもある

 

失礼だな?と思う。だからうちのは子宮全摘出したのでもう、妻とは子供作れません!という。

 

70代くらいのおばさん。息子は私と同世代、ガリッガリの昭和を絵に書いた女性

 

私は小田原に出るのに電車に12分ほど電車に乗るが(大雄山線)電話がなり、社内で話してる人のほとんどはご高齢の方々だ。

 

若い人は多様性を認めようね?という教育を受けて育つ。だから差別をしない(と思う)

 

でも、国がいくら言ってもそれとは別の教育を受けて育ち、自分の人生を築き、それで成功した方々は新しいものを受け入れにくいように思える。

 

まあ、当然なんですよ、歳を取ると新しいの慣れにくいから。

 

馬鹿にしてるわけじゃなくて、そういうものが老化だから。

 

だから年取って必死にプールで泳ぎを教わってるのをみると、「すごい! 偉い!」と思う。(習得できるかは別)

 

そうやってプールに来て泳いでる人は皆元気でやる気に満ちている。でも、そういう人は来てない(来られない人)の悪口をいう

 

多様性を認めようというのは社会にじんわりと染み込んでいて大企業は障害者雇用を義務付けられている?んかな?

 

これがまたあれでアカザーさんみたいな身体障害者もそうでない精神の発達の遅れを伴う成長する方も同じ障害者としてひとくくりにされてしまう。

 

変な言い方だけど、下肢に障害があって車椅子生活の人の場合、車椅子が通れる職場を整備したらそれでいい。

 

でも、そうでない方は受け入れる方全部のかたに理解と努力が必要である。

 

そういう人用にできる仕事を用意して通常業務は一旦とどこおり、そういう人の不平不満を聞いてくれるスタッフも用意する。

 

よく、薬で治らないのか?という話も聞くけど、ある程度の精神状態の安定は薬は助けてくれるけど、劇的に良くなって

 

飽きっぽかったり、暴言を吐いちゃうようなことはなくなったりしない、逆に繊細だからちょっとしたストレスで爆発したりもする。

 

そういう風にどこの現場も苦労して多様性という名の政策を受け入れている。

 

大変だよな?と思う。