朝日新聞の平成24年1月10日付け朝刊「座標軸」に「明日の社会に責任をもとう」という名前入りの意見が掲載されていました。副題は「『日本の自殺』を憂う」です。「憂う」のは朝日新聞の十八番みたいな感じで、実際憂いているだけの内容なのですが、「財政的幼児虐待」という言葉が妙にしっくりきたので、紹介がてら日記を書いてみました。Googleでこの言葉を検索したら、上の方に出てきた中で一番古いのが2005年ということで、それほど新しい言葉ではないようなので、何を今さらみたいな感じですがお許しください。

まず、小見出し「現実味を増す破綻」では、文芸春秋1975年2月号に掲載されたという「日本の自殺」という論文を引っ張ってきます。この論文は、保守系の学者たちが「グループ一九八四年」の名前で共同執筆したそうです。
古代のギリシャ・ローマは、自らの繁栄に甘えて滅んだと指摘し、日本も衆愚政治で同じ道を歩んでいると警告した内容で、古代ローマ人が怠惰になり「パンとサーカス」を求めたように、日本人は福祉・減税・平等・利便を求めて自律精神を失い、政治はそれに迎合して赤字を増やしていったということが書かれているそうです。
日本はバブル崩壊から約20年経ち、その後始末に追われ続けて借金が瀬戸際まで膨れ上がってしまい、ヨーロッパで財政・金融危機が表面化したように「日本の自殺」が現実味を帯びてきたと主筆の若宮さんは書いています。

次に、小見出し「つけを回す『虐待』」です。仮に「日本の自殺」という破綻を避けられたとしても、膨大な借金は、働いている現役世代だけではなく、その子や孫までにもつけ回していることに変わりはない。税金や年金などを合わせた生涯の負担と受益の差額を計算すると、これから生まれる子は8000万円以上もマイナスで、現在60歳以上の人より1億2000万円損をするという試算もあると書いてあります。そしてこのような状況を、ボストン大のコトリコフ教授が「財政的幼児虐待」と言ったそうで、この度合いは世界で日本が突出しているそうです。

以上が1面に掲載された分で、その後は11面に移されます。自分の中では1面の内容はそこそこだったように思います。11面の内容は、1970年代からの政治の駄目さ加減が書いてあるだけです。小見出しというか大きく書いてあるものでは、まず「失速と政争 借金国家の幕開け」です。この中では、石油ショックで1974年に戦後初のマイナス成長になり、建設国債を発行し、翌1975年には戦後初の本格的な赤字国債発行に踏み切ったことや、自民党内の角福戦争・三木おろし・四十日抗争などの内紛(触れた程度にしか書いていませんが)が書かれています。
次は「家庭に頼る日本型福祉 甘く見た少子高齢化」で、これはそのままです。そして最後は、「若い世代を政治が支えよ」です。明日の社会を考える上で、とりわけ次のことが大事であるとして、1.財政再建への道筋をえがき、社会保障の設計も作りなおす、2.子育て世代を支援し、貧富や世代の格差の是正もはかる、3.新エネルギーの開発によって脱原発を推し進める、4.経済を活性化させるということを挙げています。
上記1から4は絡み合っているとして、具体的な提案としては、正規雇用と非正規雇用関係なく同労働同賃金にする、千葉大の広井教授が言ったという「人生前半こそ社会保障を」というのを出して、高齢者医療の見直しに言及(具体的には何も書いていません)、選挙年齢引き下げに加えて子供の分だけ親に投票権を与えるということが書かれていますが、はじめの勢いがなく、所詮こんな程度かという内容で終わっています。まだ読売新聞のほうが、年頭の大きな社説のようなところで、社会保障はこうせよみたいなことが堂々と具体的に書かれていたような気がします。


そして、やっと「財政的幼児虐待」です。朝日新聞の「座標軸」は、所詮そんなものですということ紹介をしたかっただけなのですが、長くなってしまいました。これで高給取りだから楽な仕事です。「子供の分だけ親に投票権を与えよう、といったアイデアもある」と堂々と主張するぐらいのレベルですから。

幼児虐待は、一昔前まではそんなに声高に言われなかった言葉の一つかなと思います。「巨人の星」とか、普通に頑固おやじが子供を殴ったりしていますから。そういった言葉は、家庭内暴力(DV)・セクハラ・パワハラ・コンプライアンスなどの罰せられるようなことや、嫌煙などの権利を主張するものとか、いろいろあります。これらは程度は違いますが、それを言われたらおしまいという言葉たちかなと思います。例えば、「それセクハラです」と言われたら、社内で懲罰くらうとか裁判になったらとか考えてかなりびびります。昔は所構わずたばこを吸っていた人たちも、一緒に行った飲み屋で、「吸ってもいい?」と相手の顔色をうかがい、「やだ」と言われれば、引き下がるしかありません。
こういった水戸黄門の印籠的な言葉は、インパクトがあっていいのかもしれませんが、かなりずるいかなとも思ってしまいます。先に挙げた言葉たちは、今となっては全て「悪」です。「財政的幼児虐待」も、直感的に悪いことだと聞き手に思わせることができます。
「幼児虐待」自体は悪いのですが、「財政的幼児虐待」がはたして悪なのかどうかはわかりません。現在の日本を見ればその言葉は正しいのかもしれませんが、実は次の20年後にはその借金たちのおかげで日本は大繁栄(こういうことにはなりそうにもありませんが)となったら、「財政的幼児虐待」と思っていたのが、実は「未来の子供たちのため」だったとなります。ゆとり教育を「学力的幼児虐待」と批判したとしても、実は創造性豊かな人間が他の世代より多く育ったとなるかもしれません。

「財政的幼児虐待」は、言い得て妙みたいな感じもあるのですが、痴漢していないのに「この人痴漢です」と言われたら終わりみたいな、危険な言葉でもあるように感じてならないです。それを何と表現するのかといった言葉を持ち合わせていないのが残念でならないのですが。
けっこう前に、韓国人と北朝鮮人の名前が現地読みなのに、何で中国人はそうではないのかと思って調べたことがあったのですがわからずじまいで した。自分が小さいときは、金日成(キンニッセイ)とか全斗煥(ゼントカン)と言っていたような気がするのですが、いつの間にか前者はキムイルソンと呼ぶようになっていました。
でも中国人は、孫文(ソンブン)や毛沢東(モウタクトウ)とか日本語読みのままです。

北朝鮮は置いておいて、当時の韓国は中国よりも経済的に発展してきたから現地読みにするようになったのでしょうか。そう思うようになってきたのが、最近の朝日新聞に、胡錦濤の名前に現地読みのふり仮名が付いていたことです。ネットの方でもそうなっているのかと思って調べたら、朝日新聞に胡錦濤が出てくるのがなくて、読売新聞になってしまうのですが、やはり胡錦濤に現地読みのふり仮名が付いていました。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111231-OYT1T00434.htm

それまでは韓国や中国は遅れた国として見下して人の名前も日本語読みで紹介していたのが、まずは韓国が経済的に発展してきたからそれを改め、そして今度は中国の経済発展があったから中国の人の名前も現地読みにしたように思えてならないです。こういう漢字の読み方ってどうなっているのでしょうか。

日本語のほうも、ちょっと前までは「博士」は「はかせ」だったのに、今は「はくし」と言ったりします。おまけですが、仕事上の言葉となっているのか、自分の職場では、「重複」を「ちょうふく」ではなく「じゅうふく」と平然と言っている人が圧倒的です。「早急」を「さっきゅう」ではなくて「そうきゅう」と言ってもいいみたいだったり、昔ほどうるさくないのも時の流れなのでしょうか。

日記はいつもmixiに書いていましたが、こちらにも日記を書けることを思い出して、その日記をコピーしました。これからも、向こうで日記を書いたら貼り付けようかと思います。


朝日新聞の夕刊に「素粒子」という二言三言のコラム欄があります。そこに、先日亡くなった西本監督のことが書かれていました。
自分は、プロ野球ニュースで見たなあ(そういえば別所さんとか豊田さんとか、往年の名選手が見れて、今思えばすごい番組でしたね)ということぐらいしか知らないのですが、「素粒子」を読んだら、改めて野球っていいなと思ったので、そのまま書いてしまいます。


平凡な選手成績。パ・リーグ一筋。お荷物球団を優勝に導き、日本一にはなれず。栄光と悲哀の西本幸雄氏逝く。

9回1死満塁。西本監督はスクイズを指示。変化球を瞬時にはずす江夏投手。21球の攻防にファンは人生を見る。


ちなみに、西本監督はリーグ優勝を8回しています。それでも日本シリーズでは一度も勝てませんでした。野球は、いいときも悪いときも、数字上でもはっきりわかるので、ドラマが見やすくていいです。それゆえ新井さんには腹が立つし、條辺頑張れだったりするわけです。

スポニチのほうには、西本監督の名言集(http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/26/kiji/K20111126002112900.html )というのがありました。その中の一つを紹介します。

「努力すれば野球の方から受け止めてくれる。研究すればもっと遠くまで打球が飛んでくれる。野球は人間の努力や工夫を忠実に反映してくれる。道のりは遠くとも、目標に向かって進めば、一歩一歩近づくんだ」

どんなスポーツなり学問なり、努力すればある程度結果が出るのは当然なのですが、西本監督の言葉通り、野球は努力すれば「遠くまで打球が飛ん」だとか、速い球を投げられたとか、エラーしなくなったとか、目に見えるし数字にも表しやすいので、人生を垣間見ることができ、そこにドラマ性も感じることができるのだと思います。
今年のソフトバンクの日本一に至る道程にしても、ドラマに満ち溢れていました。その中でも、小久保・松中・杉内たちの悔しさからの歓喜と、同じ悔しさからの歓喜といっても内川のはまた違ったものであると思うので、「日本一」という一つの事実からも、いろいろなドラマが見れてすごくよかったです。
まあ、とにかく、野球っていいよねっていうことが言いたかっただけです。

最後になりましたが、野球界の偉大な先輩である西本さん、どうもありがとうございました。