まず、小見出し「現実味を増す破綻」では、文芸春秋1975年2月号に掲載されたという「日本の自殺」という論文を引っ張ってきます。この論文は、保守系の学者たちが「グループ一九八四年」の名前で共同執筆したそうです。
古代のギリシャ・ローマは、自らの繁栄に甘えて滅んだと指摘し、日本も衆愚政治で同じ道を歩んでいると警告した内容で、古代ローマ人が怠惰になり「パンとサーカス」を求めたように、日本人は福祉・減税・平等・利便を求めて自律精神を失い、政治はそれに迎合して赤字を増やしていったということが書かれているそうです。
日本はバブル崩壊から約20年経ち、その後始末に追われ続けて借金が瀬戸際まで膨れ上がってしまい、ヨーロッパで財政・金融危機が表面化したように「日本の自殺」が現実味を帯びてきたと主筆の若宮さんは書いています。
次に、小見出し「つけを回す『虐待』」です。仮に「日本の自殺」という破綻を避けられたとしても、膨大な借金は、働いている現役世代だけではなく、その子や孫までにもつけ回していることに変わりはない。税金や年金などを合わせた生涯の負担と受益の差額を計算すると、これから生まれる子は8000万円以上もマイナスで、現在60歳以上の人より1億2000万円損をするという試算もあると書いてあります。そしてこのような状況を、ボストン大のコトリコフ教授が「財政的幼児虐待」と言ったそうで、この度合いは世界で日本が突出しているそうです。
以上が1面に掲載された分で、その後は11面に移されます。自分の中では1面の内容はそこそこだったように思います。11面の内容は、1970年代からの政治の駄目さ加減が書いてあるだけです。小見出しというか大きく書いてあるものでは、まず「失速と政争 借金国家の幕開け」です。この中では、石油ショックで1974年に戦後初のマイナス成長になり、建設国債を発行し、翌1975年には戦後初の本格的な赤字国債発行に踏み切ったことや、自民党内の角福戦争・三木おろし・四十日抗争などの内紛(触れた程度にしか書いていませんが)が書かれています。
次は「家庭に頼る日本型福祉 甘く見た少子高齢化」で、これはそのままです。そして最後は、「若い世代を政治が支えよ」です。明日の社会を考える上で、とりわけ次のことが大事であるとして、1.財政再建への道筋をえがき、社会保障の設計も作りなおす、2.子育て世代を支援し、貧富や世代の格差の是正もはかる、3.新エネルギーの開発によって脱原発を推し進める、4.経済を活性化させるということを挙げています。
上記1から4は絡み合っているとして、具体的な提案としては、正規雇用と非正規雇用関係なく同労働同賃金にする、千葉大の広井教授が言ったという「人生前半こそ社会保障を」というのを出して、高齢者医療の見直しに言及(具体的には何も書いていません)、選挙年齢引き下げに加えて子供の分だけ親に投票権を与えるということが書かれていますが、はじめの勢いがなく、所詮こんな程度かという内容で終わっています。まだ読売新聞のほうが、年頭の大きな社説のようなところで、社会保障はこうせよみたいなことが堂々と具体的に書かれていたような気がします。
そして、やっと「財政的幼児虐待」です。朝日新聞の「座標軸」は、所詮そんなものですということ紹介をしたかっただけなのですが、長くなってしまいました。これで高給取りだから楽な仕事です。「子供の分だけ親に投票権を与えよう、といったアイデアもある」と堂々と主張するぐらいのレベルですから。
幼児虐待は、一昔前まではそんなに声高に言われなかった言葉の一つかなと思います。「巨人の星」とか、普通に頑固おやじが子供を殴ったりしていますから。そういった言葉は、家庭内暴力(DV)・セクハラ・パワハラ・コンプライアンスなどの罰せられるようなことや、嫌煙などの権利を主張するものとか、いろいろあります。これらは程度は違いますが、それを言われたらおしまいという言葉たちかなと思います。例えば、「それセクハラです」と言われたら、社内で懲罰くらうとか裁判になったらとか考えてかなりびびります。昔は所構わずたばこを吸っていた人たちも、一緒に行った飲み屋で、「吸ってもいい?」と相手の顔色をうかがい、「やだ」と言われれば、引き下がるしかありません。
こういった水戸黄門の印籠的な言葉は、インパクトがあっていいのかもしれませんが、かなりずるいかなとも思ってしまいます。先に挙げた言葉たちは、今となっては全て「悪」です。「財政的幼児虐待」も、直感的に悪いことだと聞き手に思わせることができます。
「幼児虐待」自体は悪いのですが、「財政的幼児虐待」がはたして悪なのかどうかはわかりません。現在の日本を見ればその言葉は正しいのかもしれませんが、実は次の20年後にはその借金たちのおかげで日本は大繁栄(こういうことにはなりそうにもありませんが)となったら、「財政的幼児虐待」と思っていたのが、実は「未来の子供たちのため」だったとなります。ゆとり教育を「学力的幼児虐待」と批判したとしても、実は創造性豊かな人間が他の世代より多く育ったとなるかもしれません。
「財政的幼児虐待」は、言い得て妙みたいな感じもあるのですが、痴漢していないのに「この人痴漢です」と言われたら終わりみたいな、危険な言葉でもあるように感じてならないです。それを何と表現するのかといった言葉を持ち合わせていないのが残念でならないのですが。