花火の思い出教えて!

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花火、うちの地域でも花火大会があるので見ていた程度。個人的に集まったり、友人同士などで花火した思い出って殆ど無い。
子供時代の自分、かなり人間強度が高かったな。
 
本題
 
エントロピー増大の法則よろしく、一度乱れると色々と乱れてくる、メンタルや脳内もそうだし、現実だと部屋とかMacのデスクトップとかもそう。
ここ数ヶ月色々あった、人の死は急だな、なんて思っていた日もあった。部屋がきれいと心が整う云々よく聞くけれど、実際卵鶏のジレンマ"the chicken or the egg"と同じで、どっちが先か本人どころか周囲にいる人でもわからないはず、自分の観測できる範囲内でそれが判明した試しがない。本がひたすら積まれている――はいつも通りだが、徐々に消化しつつも、新しい本が積まれつつその周辺でもガジェットやカードが積まれつつある。一度どうにかしたい、週末にでも模様がえ序でに色々とするか〜と、思っているものの、実際はあまり進まない。なぜかはわからない。
根本的に捨てるのが苦手なんだなということは理解した。物的なものにかかわらず、ずっと思い悩むみたいな、重い悩むとは少し違うのかな。別に、モノや考えに溢れた生活がしたい訳でもない、それこそ、本はデジタルにするかな、とかも思っている、思考もデジタルにすると軽くなるか?なんて思うこともあるが、これはおそらくアナログのほうが軽い。本については一度全部売って再読するならは買えば良いな、とも思っている、思うだけだが。いわゆるざっくりとした”頑張る”と一緒で、結局何もしていないという説もある。重い腰ではないが。これも実は軽くて、軽すぎるがゆえの弊害みたいなものなのかもしれない。あっちこっち動き回っているからどれも中途半端になっている、のでこの今みたいなメンタルと思考が蔓延っているという説もある。悩み考えが溢れすぎてご飯が食べれないときの、思考のぼんやりとした感覚。大脳皮質の皺が薄くなっているような感覚であり、思考の尖りが削がれていくような感覚でもある。が、一番怖いというか苦しい。
 
書いておきたい仕事の悩みもあったのに、、とりあえずこれぐらいでいいや。。