<ж 9 ж 箱根 その1                                おまけ Vol 26>

箱根 その2

 投稿日時 2010/11/13(土) 午後 8:08  書庫 大浴場  カテゴリー 旅行
 

 



 箱根山がかように交通の難所であり観光名所である割には温泉としては有名なのか茫洋としているのかがよく解からない原因はその成り立ちにあるようだ。
 箱根山は約20万年前には標高2700m程の富士山の様な円錐形だったそうだがその後陥没と隆起を繰り返し約3000年前に芦ノ湖が出来て現在の形になった。その結果地層がガタガタになって温泉があちこちに分布する形になり(古くは箱根七湯、現在は20?)はっきりとした「箱根の温泉はこれ」という決め手に欠けた為茫洋としたものになってしまったのではないであろうか。そしてその分布も南部に偏っていて観光名所となる芦ノ湖、仙石原には無く(あるにはあるがそれは後程)メインとなる大湧谷にも卵の温泉はあっても人の温泉は無いので観光目的の人が温泉と出合うきっかけが少ない事となり、温泉としてはメジャー感が小さいのではないであろうか。パターン的には箱根で観光をした後、熱海か伊豆の温泉で泊まるという感じだ。昔も江戸中期まではやはりメジャーではなく、その後大山詣でのついでに寄るのがブームになった程度らしい。
 その温泉達について簡単に書き出してみると、
湯元----単純、弱食塩、弱石膏---最も古い。奈良時代738年の開湯
塔ノ沢---単純、弱食塩、弱石膏---慶長10年(1605)開湯
堂ガ島---単純、弱砒素弱食塩----鎌倉時代1311年開湯
宮ノ下---単純、弱食塩-------1398年開湯。人気が出たのは19世紀になって外国人うけしてから
底倉----単純、弱食塩-------開湯不明。秀吉が使った?
木賀----単純、含砒素食塩-----鎌倉時代初期? 
芦ノ湯---単純、硫黄--------鎌倉時代。国道1号最高地点近く。江戸時代から避暑地
 ここまでが箱根七湯
大平台---単純、弱食塩-------昭和26年。そもそもは宮ノ下から引き湯だった
小湧谷---単純、弱食塩-------明治6年小地獄より改名。
二ノ平---単純、含重曹食塩-----昭和38年。
強羅----単純、弱食塩、他-----大湧谷から引き湯多し
宮城野---単純、弱食塩、他-----強羅より引き湯で始まる。現在は湧出あり
(仙石原)-含石膏芒硝--------明治時代。大湧谷から引き湯。以下5箇所の総称
元湯-----------------仙石原温泉
仙石-----------------仙石原温泉
俵石-----------------仙石原温泉
上湯-----------------仙石原温泉
下湯-----------------仙石原温泉
姥子----単純-----------歴史は古く、こちらが七湯に入るとも言われる
芦ノ湖---単純硫黄泉--------昭和41年。湯ノ花沢からの引き湯
湯ノ花沢--単純硫黄泉--------湯の花が採れる。
蛸川----単純-----------昭和62年、温泉が噴出。 となる。
 更に詳しい説明はガイドブック等を見ていただくとして、概して言えるのは、「大湧谷のボコボコ噴出すドロッとした臭い熱水」のイメージとはかけ離れた単純泉が多い事。大湧谷から引き湯しているところも直接お湯を引いているのではなく、噴出する蒸気で水を温めた物なのだ。(ロープウエイからその様子が見られる)
 どうも否定的な話ばかりになってしまったので箱根で浸かった数少ない温泉の話を。
 1つは箱根湯本駅近くの立ち寄り湯。駅からすぐの高みにある。
 さらっとした透明なちょっと熱い湯で、晩秋に訪れた旅行者の冷えた身体にはとても嬉しいものであった。ロマンスカーを1本遅らせて温まってから帰るによい。
 もう1つ。
 それは小湧谷にある明治初期創業の老舗旅館。大きな日本庭園を備えた眺望が自慢の宿。
 訪れたのは2001年のお盆。かなりの渋滞を覚悟していたわりには東名、小田厚共にスイスイで五区山登りにさしかかっても駅伝選手のごとく、ノンストップで車は進む。蒲鉾屋、箱根湯本駅と進みいよいよ天下の険。「ほらこれが函嶺洞門」と振り返ってみれば後席の連中もノンストップで爆睡中。
 小湧谷ではさすがに電車に停められたが、思いの外早く着いたので小湧谷手前で右折。大湧谷へ寄ることにした。
 しかし、そのあたりからあたり一面の霧。早雲山を発したロープウエイがスッと消えて行く。
 大湧谷も霧の中。噴煙上げる爆裂火口跡も見えない。しっとり霧に包まれて真夏だというのに寒い。霧だか煙だかわからないものが漂う中、震えながら遊歩道を散策。おそらく臭い付きが煙。1時間ほどかけて黒卵製造現場を往復。そのありがたき長寿の源をいただいたが、考えてみれば亜硫酸ガスを吸いこみながらの運動。はたして寿命が伸びたのかそれとも。
 時間的には十分余裕ではあったが、いっこうに晴れる気配の無い霧に辟易して早々に宿へ向かう。
 午後3時宿着。国道から少し登ったところが正面玄関。木造の風情あるなんとも素晴らしいものなのだが、いかんせん明治時代創業、自家用車対策が弱い。坂道に斜めに車を停めて玄関をくぐれば番頭さん、女将さんがこれ以上無いというくらいしっくりと似合う雰囲気でのお出迎え。
 通された部屋は帳場(フロントではない)のすぐ裏手の部屋。月梅停という建物らしい。この宿ではリーズナブルに属する所ではあるが、木造のゆったりとした部屋で窓も大きく何ら不満は無い。
 今回もそうだが、土壇場格安予約をすると布団部屋?に通される事も多い。しかし時には昔の上等室、ただちょっと古いだけ、に当たる事もある。今回も当たりの様だ。窓上の日除けがビニール製の棒をくるくる回して出したり巻き上げたりするやつ。いいねー。昭和だねー。この宿には他に大正時代の建物と近代的な建物があるが、近代的な方は昨今どこでも泊まれるのでさして興味無し。大正は多いにそそられる。泊まってみたい。でもちょっと高級過ぎる感じで落ち着かないだろうな。やっぱり昭和が1番。もっとも、普通の方とは少々感覚がずれているかも知れないのでその辺はご注意を。
 風呂。館内に2ヶ所。
 まずは部屋を出て廊下をくるりと廻った山際にある明治風呂。
 壁、窓桟ともに少し黒ずんでちょっと暗く市松模様のタイル張り床に高い天井の浴場に人気は無し。泉質は単純泉だが自家源泉のさらっとしたお湯。ゆったりと明治を堪能。でも子供からは「ちょっと怖い」の感想。
 そこでもう1つの大浴場へ。こちらは明るく露天ブロもあるが、やはり雰囲気は明治風呂の方が良い。
 部屋で相模湾の幸などを賞したのち帳場脇の怪しいコンクリトンネル風階段を下って娯楽室へ。卓球台がポツン。国道沿いで騒がしいかもと思われた夜は静かにふけた。
 翌朝、やっぱり霧。2ヶ所の風呂をはしごしながら晴れるのを期待したが結局自慢の眺望を堪能する事は出来なかった。そして、のんびりしすぎて庭園散策の時間も無くなってしまった。残念。もう少し大正が似合う年になってから再訪してみよう。


あっ、箱根にあるのは「湯元」ではなく「湯本」だ。しかし、この2つは意味的にどう違うのであろう。


--第37号(平成20年2月10日)--

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