<ж37ж 茶碗でご飯                                   箱根 その2>

ж 9 ж 箱根 その1

 投稿日時 2010/11/13(土) 午後 8:06  書庫 大浴場  カテゴリー 旅行
 




 息子(小学生)が修学旅行に行って来た。宿泊は箱根。
 箱根は私も小学生時に林間学校で泊まっていて懐かしくも思ったが、その内容を聞いて驚いた。
 私の時はホテルと名前に付いてはいたがその実は木造2階建てで大部屋ばかりの旅館風で食事はお子様ランチに毛が生えたような物。風呂は温泉?の四角い湯船が1つという代物。
 ところが、息子が泊まったところは温泉施設を売りとしたリゾート感覚のもので食事は魚あり肉ありのバイキング。デザートはチョコレートタワーときた。私の時のデザートはみかんがせいぜいだった。う~ん、30年でかくも変わるものであったか。
 思えば私がはじめて温泉に浸かったのはこの林間学校であった(仙石原にあったそれは一応温泉となっていた)。それ以来箱根へは幾度も訪れているが温泉自体に浸かった事はまれで箱根スカイラインをドライブしたり、大湧谷で黒卵を食べたりするのがたいていであった。(ちなみに大湧谷の亜硫酸ガス濃度により避難を促す注意書きは身体への症状によりその濃度が解かる様に書かれているが最後の方はその症状が「死亡する」となっている。死んでから危険濃度に気づいても・・…。)
 そもそも私には箱根=温泉という図式がなかなか思い浮かばない。箱根は日帰りでさっと遊びに行くところ、温泉なんてどこにあったっけ、という感じである。箱根は天下の険で越えるのが楽しいのだ。車でしかり、電車とケーブルカー、ロープウェイ、船、バス乗り継ぎしかり、苦労して登山し富士山が眼前にバーンと現れた時の開放感はなんとも言えない。この感覚はどうも私だけではなかった様だ。

 越えるのが大変な箱根の道は、律令時代に勿来、白河、岩舟の各関所以西を東海道、東山道、北陸道に分けた内の東海道へ行き来する為に作られた。もっとも、それは現代の道とは大きく異なっていて、御殿場から乙女峠を越えて仙石原に下り強羅付近からまた明神ケ岳を越えて松田へ至るものであった。
 この道はさすがに2度も山越えがあって大変という事で御殿場から足柄峠を越えて矢倉沢へ下り松田へというルートに変わっていった。その後富士山の噴火で足柄峠が埋まっていた時期だけ箱根峠を通り芦ノ湯付近からまっすぐ湯元へ下る道が利用されたが長くは近世で言うところの矢倉沢往還を利用して箱根を越えて秦野から鎌倉、そして走水より船で下総、が東海道中であった。(その為武蔵は東山道に属したいたが、奈良時代末期に丸子、大井、豊島がルートとなり東海道に属する様になった)
 これらの道は京都を中心とした道であったが江戸時代に江戸を中心とした五街道が整備されると湯元から箱根峠を越える道が東海道とされた。現旧東海道(むっ、表現が変だ)である。だがその道にしても箱根の温泉地は湯元をかすめる程度であった。つまり古代から続く道の歴史から見ても箱根越えと温泉の結び付きは薄いのである。
 箱根には古来箱根七湯と呼ばれる温泉があった。湯元、塔ノ沢、堂ガ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦ノ湯である。
 東海道からこれらの湯へ向かうには箱根七湯道と呼ばれる別のルートを通った。現在の国道1号である。
 脇街道から第1国道への昇格により道筋の七湯も安泰かと思われたが、やはり使いづらかったのであろう、東海道の主役は箱根を大きく迂回する東名高速道路へと移り、国道1号にも旧街道に沿う箱根バイパスやターンパイクが開通してせいぜいが箱根駅伝の際にちょこっと話題になる程度になってしまった。
 ちなみに箱根にはターンパイクの様に会社所有の私道が多い。伊豆箱根スカイラインもそうで、この道路を開通させたのは「箱根土地」という不動産会社。この会社は原野であった芦ノ湖周辺の土地を買い占め、値段を上げる為に交通の便をよくすべく道路を作り、別荘地として売り出した。この成功によりその手を広げ伊豆箱根鉄道を開業。伊豆、箱根でとんとん拍子に発展していった。やがて時代は世界恐慌に突入。それにより経営難におちいった東京の鉄道会社が助けを求めてきた。そこでその社長はこの鉄道会社を箱根土地の子会社として経営する事になり見事窮地を救った。そして会社名を改めた。その名は「国土」。そう、助けられた鉄道会社は西武鉄道で、社長は言わずと知れた堤康次郎である。だから箱根や伊豆へ行くとライオンマークのバスが走りまわっていて「西武鉄道はこんなところまで手を出して」と思われる方もいらっしゃるだろうが、実は逆。そもそもは箱根が西武グループ発祥の地であり、そこへ小田急や東急が攻め入っているのである。(最近まで小田急の箱根フリーパスではライオンバスに乗れなかったがOKになったそうな。いくらか仲良くなったのか?) 

箱根 その2 へ続く

 コメント(2)

 

 

アイコン0  
   
・・・横軽を助けてくれる鉄道会社は・・・ないでしょうかね。。。  
2010/11/22(月) 午後 2:24  哲ちゃん+Mc169
 
アイコン0  
   
鉄道として利益を求めての助っ人は難しいでしょうが、あの横軽をやっている、という宣伝効果を狙った紀州鉄道みたいな会社が現れてくれないですかねー。  
2010/11/22(月) 午後 6:14  NEKOTETU