廃線跡をめぐる 武州鉄道 vol.4 消えることのない想い | nekozoku-tetsudouのブログ

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こんにちは+猫賊+です。
鉄道車両基地や走行風景、ふらっと立寄れる
街の鉄道スポットを記録するブログです。

武州鉄道 Vol.1

武州鉄道 Vol.2

武州鉄道 Vol.3

 

今回のブログの内容をまとめた動画です。

 

80年以上前に廃止された武州鉄道。

Vol.1 武州鉄道についてと蓮田駅跡

Vol.2東武鉄道(総武鉄道)と武州鉄道 岩槻町

Vol.3鉄道計画と岩槻町

3回のブログで16駅中6駅

16.9km中6.4km進みました。

 

岩槻駅から武州大門駅までが開通したのは

武州鉄道の営業運転開始から4年後のことでした。

 

 

国道16号線を渡ると

廃線跡は県道324号線に合流します。

ゴルフ場とコンビニエンスストア辺りが真福寺駅跡です。

この駅は、武州大門駅まで延伸開業された後にできました。

 

県道を少し進んでから右に逸れると

それらしい築堤が!!

正直予想される路線からは

ほんの少しだけ外れる気もしますが・・・

自分の中で想像を膨らますのも楽しいです♪

 

その先にある目白大学・岩槻キャンパスの前の道が

浮谷駅跡です。

 

振り返ると交差点の向こうに林があり、その中を線路が通っていたようです。

 

浮谷駅の倉庫として使われていた建物が

ここから少し離れた場所に移築されているそうです。

 

廃線跡に戻って・・・

大学の裏手にも廃線跡と思われる風景が残されています。

 

 

ここから次の笹久保駅までは直線です。

正面の細い道が廃線跡だと思われます。

この辺りの中古車オークション会場の敷地が笹久保駅跡になり、

縦に延びる細長い駐車場が廃線跡です。

笹久保駅周辺には伝右川・綾瀬川を渡る橋の遺構がありましたが、

最近の整備工事などでなくなってしまったようです。

 

綾瀬川を渡った所。

正面の道が廃線跡です。

 

ここから曲線を描きながら進み

埼玉スタジアム手前辺りで国道122号線と合流します。

 

埼玉スタジアムのすぐ先が

武州野田駅跡です。

これより廃線跡は国道122号線沿いに進みます。

 

国道463号線の手前

浦和料金所付近で側道に入ると・・・

 

浦和美園駅と

埼玉高速鉄道の車両基地が見えます。

 

車両基地付近で撮影。

 

 

2001年に開業した埼玉高速鉄道線。

東京メトロ南北線・東急目黒線との直通運転が行われている現在。

武州鉄道が廃止されて60年以上が経ち

同じ地域から東京へと繋がる路線が実現されました。

 

しかし、武州鉄道をなぞるように

岩槻駅を経由して蓮田まで延びる計画は

依然計画のまま・・・

 

武州鉄道の発展を望んだ人々が

どれほどいたのかはわかりませんが、

その想いは長い年月を経て形を変えてでも

誰かの心に生き続けているのでしょうか・・・

 

話を戻して、側道を道なりに進んだ所にあるのは重殿社です。

ここには停車場道路工事記念の石碑が置かれています。

なぜここにあるのかは不明です。

 

国道122号線を更に南下して

大門交差点を超えた先が武州大門駅跡です。

ピアノの看板がある所には当時駅前食堂があり、

現在、その建物には別の会社?が入っているようです。​​​​​​​

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次の下大門駅跡は

JR東日本武蔵野線高架手前辺りです。

 

西通り橋と大通り橋の間が

行衛駅跡です。

 

そして最後の神根駅は

石神交差点付近にありました。

 

武州大門駅から神根駅までが延伸したのは

武州鉄道開業から12年後のことですが

それから2年後に武州鉄道は廃止となってしまいました。

 

余談ですが・・・

神根駅跡から県道を左に進むと

徒歩20分程で埼玉高速鉄道・戸塚安行駅に付きます。

 

浦和美園駅から戸塚安行駅までは

国道122号線(=武州鉄道廃線跡)と平行に近い形で通っています。

そしてこの先を川口を経由して赤羽方面へ・・・

 

武州鉄道が当初計画していた

川口と赤羽を通っていることに少し驚きました。

 

今回訪れた地域は、車で通ったことがあるという程度でした。

新たな路線が誕生することで自分たちの生活に

何かをもたらすかと言えばそうではないと思いますが、

廃線跡を調べて巡ってみて、

いつか「武州鉄道」が見られたらいいと思いました。

 

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました。