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1924年から1938年まで
埼玉県の蓮田(さいたま市)〜神根(川口市)間を
蒸気機関車や気動車が走っていました。
それは武州鉄道です。
「武州鉄道」の名前だけは聞いたことがありましたが
例えば国道122号線など時々通る場所を
かつてSLが走っていたなんて・・・
思い立ったが吉日
お散歩がしたくなる季節になりましたし
「武州鉄道」の廃線跡を巡りました。
先ずは、浦和駅前 パルコの8階
「さいたま市中央図書館」で
武州鉄道について調べました。
参考にした資料
・幻の武州鉄道 郷奇智 著
・武州鉄道 風間進 著
・分県レトロマップ 昭和16年
グーグル ゼンリン 地図画像
・国土地理院ウェブサイト
・今昔マップ on the web (谷謙二)
古地図を現在の地図に重ね合わせて
武州鉄道の線路が敷かれていた場所の見当をつけました。
1910年
「中央軽便電気鉄道」として
その歴史をスタートさせたこの路線は
翌年に動力を蒸気に変更するとして
「中央鉄道」に社名変更。
1919年
「武州鉄道」に再び社名変更がされて
1924年に蓮田 ー 岩槻 間が開業。
開業当初は蓮田駅と岩槻駅だけでした。
その後・・・
岩槻駅・河合駅・岩槻本通駅 が開業。
開業から4年後に岩槻 ー 武州大門 間
(浮谷駅・笹久保駅・武州野田駅・武州大門駅 が開業)
その8年後に武州大門 ー 神峰 間
が開通されるも
2年後(1938年)には全線が廃線。
馬込駅と真福寺駅は神根まで開通後の開業で
昭和初期の地図には
武州大門駅以南と馬込駅・真福寺駅は
記されていませんでした。
80年以上も前に廃止してしまった路線。
その名残はもう無くなってしまいました。
廃線跡の多くが住宅街にあり
曲線を描いたり、斜めに建物が並んでいたり
とても細い道や不自然に空いた土地など
線路が通っていたのだろうと
なんとなく想像できる程度でした。
それでは、
1つ目の駅「蓮田駅」からスタートします。
JR東日本 東北本線 蓮田駅
西口にはD51形と115系の車輪と
蓮田車站納地記念碑があります。
(車站・しゃたん/駅)
東口を出て右手(大宮方面)に
細い道があります。
蓮田駅のホームと並んで建つ
駐輪場(緑と白の建物)に
蓮田駅はありました。
先へ進むと駐車場があります。
東北本線は写真の右側にあり
武州鉄道はこの駐車場の場所で
曲線を描いて南下していきました。
正面のベージュの建物(歯科医院)を通っていたようです。
駐車場に「武州鉄道」についての
案内看板がありました。
武州鉄道が持っていた車両
当初は東京市街と日光を結ぶ路線を構想していたそうです。
(北千住ー川口ー岩槻ー幸手ー栗橋ー古河ー日光)
第1期線として川口ー岩槻間の工事が着工されました。
川口駅ではすでに駅前開発が進んでいた為、
廃止された国鉄の貨物線跡を活用して赤羽駅に変更。
しかし、貨物の積み降ろしなどの作業に必要な用地が
赤羽駅構内には確保できないので、
貨物用の起点を蕨駅にして
途中で分岐する計画に変更していたそうです。
結局は第1期線の工事がなかなか終わらずに
第2期線の岩槻以北の工事を着工させて
先行して開業することになりました。
この頃、初代社長の運営に批判的だった人たちが
鉄道に詳しい人を社長に迎えるべきと考え、
当初から監査役として関わっていた
「京成電鉄」の創立者・本多貞次郎を社長に招聘し、
武州鉄道と社名が変更されました。
そして、いよいよ武州鉄道が開業するのですが・・・
長くなりましたので続きはVol.2で・・・