恋シェのためのその④は『十二夜』

※劇団四季『恋におちたシェイクスピア』をより楽しむために、シェイクスピア関連の作品を読んでいます

 

 

 

恋シェのためのその➄

 

今月はひとつも記事を書かぬうちに12月も後半になってしまいました。
今回は、シェイクスピアが書いた作品ではなく、シェイクスピアがキャラクターとして登場する作品を取り上げます。

 

2025年も残すところあと10日あまり。

今年の出来事でとても嬉しかったことのひとつが、「FLESH & BLOOD」の25巻が発売されたことです。

10年ぶりのシリーズ新作。

半ば諦めていた続刊の発売を知ったときは興奮しました。作者の情熱に敬意です。

https://www.tokuma.jp/smp/book/b665048.html

 

 

 

【あらすじ】

1587年のイングランドにタイムスリップしてしまった17歳のカイトは、私掠船(女王公認の海賊船)の船長・ジェフリーに保護され、海賊船『グローリア号』の一員となる。

折しも時代は英西戦争のさなか。現代の知識があるがゆえに、カイトは様々な困難と苦悩に直面する。

16世紀末のイングランドとスペインを舞台に繰り広げられる、カイトと彼を取り巻く人々の愛とロマンと冒険の歴史ファンタジー。

 

…といった感じです。

最新25巻では、アルマダの海戦におけるポートランド沖海戦、ワイト島沖海戦が描かれています。

※このあらすじからはまったく伝わらないと思いますが、BLです

 

 

さて、カイトがタイムスリップした16世紀末のイングランドはエリザベス朝の真っ只中、シェイクスピアが活躍していた時代です。

 

「FLESH & BLOOD」(以下、F&B)には、劇作家として頭角を現す前のシェイクスピア(ウィル)が登場します(初登場は4巻)。レスター伯一座の役者である一方で、イングランドで諜報活動を行うスペイン人を密かに手助けしている人物として描かれています。

イングランド人の彼が、なぜ敵対するスペイン人に加担していたのか?

 

英西戦争には宗教戦争の側面があります。すなわち、カトリック(スペイン)とイングランド国教会(イングランド)の争いです。

 

シェイクスピアはイングランド人であるものの、カトリックを信仰していたかもしれない…と考えられないこともなく※1、

また、シェイクスピアの生涯のうち1585年から1592年までの7年間は、確かな資料が残って(見つかって)いないため、どこで何をしていたのかわからない空白期間とされています。※2

さらに、シェイクスピアは18歳で結婚(たぶんデキ婚)、20歳にして双子を含む3人の子供の父親になりました。それから間もなくロンドンに出たと考えられていますが、まだ幼い子どものいる家族を故郷に残してまでロンドンに出た事情ははっきりしていません。

 

F&Bのウィルは、こうした諸説をもとに構築されたキャラクターなのだろうと思います。

 

動静がはっきりとわかっていない期間、シェイクスピアは自身の信仰心に従い、間諜として働くために故郷を離れたのではないか――-そうであれば、その期間に関する資料が残っていないことも説明がつく---史実の隙間を埋める、とてもわくわくするストーリーです。

 

物語の中でカイトはウィルに対し、「イングランドを裏切るようなことはしないでほしい、どうか素敵な作品を書いてほしい」と願います。

それ以降ウィルは登場していませんが、アルマダの海戦に区切りがついた暁には、エリザベス朝の劇壇を代表するひとりとして必ずまた登場するはず!と楽しみに待っているところです。

 

 

おまけ。

『恋におちたシェイクスピア』にも登場するクリストファー・マーロウ(キット)について。

シェイクスピアに先駆けてエリザベス朝の劇壇で成功をおさめていた彼は、F&Bではかなり重要なキャラクターです。一見軽薄そうでありながら芯は冷静で、どこか危うさを秘めた魅力的な人物に描かれています。

史実でのマーロウは、1593年、29歳のときに謀殺されたというのが定説のようですが、果たしてF&Bでの彼はどのような運命をたどるのか?

アロンソ・デ・レイバの運命と共に、F&B読者の大きな懸案事項ではないでしょうか。

 

26巻の発売が待ち遠しいです。

 

おわり。

 

 

 

※1 小津次郎.“シェイクスピア登場”.紀伊國屋書店,1989,p.6.

シェイクスピアは作品以外にはなに一つ彼の心を開いて見せる資料を残さなかったし,作品はそれ自体の世界を持つものであるから,それによって作者の信念や思想を直接的に引き出すことはできない.したがって,シェイクスピアの信仰のあり方を,いわば客観的に提示することは不可能であるが,彼の家庭にカトリック信仰の色彩が濃厚であったとだけはいいうるだろう.ということになれば,彼自身の信仰はわれわれにとって不明確であったとしても,シェイクスピアがエリザベス朝社会において少数派に属していたことはほぼ確実であり,それが多感な少年の心理にいかなる影響を与えたかを憶測することは,われわれ読者に許された自由であろう.

 

※2 小津次郎.“シェイクスピア登場”.紀伊國屋書店,1989,p.9.

いずれにしても,シェイクスピアはロンドンに出た.そうして,とにもかくにも劇壇に入った.彼の立身出世はめざましいものであったにちがいない.敗残の劇作家ロバート・グリーン(Robert Greene, 1558-92)が死の直前に書き綴ったものの中に,シェイクスピアへの恨みを込めた羨望の文章が見られる.これがロンドンにおけるシェイクスピア関係の最初の確実な文献であり,1585年の二児誕生からこの時までの七年間は,シェイクスピア伝の空白期間(Lost Years)ということになる.しかしその間のいつかの時期に,彼は初めてロンドンに出て,劇壇の盛況に目を見張ったに違いなかった.