映画好きな友人と話していて、よーくあること。
映画のタイトルが分からない~。
仕方ないから出演した俳優・女優を言おうと思うと、今度はその名前が思い出せない~。
顔はここにあるの。
ここ!私の頭の中にくっきりと。
く~、もどかしいったらありません。
「あれだよ、あれ」とか、「ほらあの女優、ほらあれに出てた・・・(その映画のタイトルがまた分からん)」という、自分で勝手に入っていった永遠のループから抜け出せなくなります。
これは度忘れということもありますが、私のせいじゃない場合もあるんです。
それは邦題っていうやつのせい。
例えばブラッド・ピットが一気に注目を集めた「リバー・ランズ・スルー・イット(River Runs Through It)」は、意味がよく分からないのに(Itって何?)邦題は英語読みそのままですよね。
なのに、です。
映画によっては、もう原型をとどめないほど違うんです。
例えば
原題”Body Heat” が『白いドレスの女』
”Awakenings”が『レナードの朝』
”Sleepless in Seattle”が『めぐり遭えたら』
とか。
ぜんっぜん違います。
いや、邦題の方が映画にふさわしいこともあるんですが、アメリカ人と映画について話そうっていう時、本当に困ります。
”レナードの朝”なんて、「モーニング・オブ・レナード?」「レナーズ・モーニング?」とかバージョンを変えて何回言っても通じなくて(当たり前かも)、ロバート・デ・ニーロが本を読めないくらい頭が揺れてしまうシーンを真似してやっと分かってもらえたというね。
もう「”朝”はほっとけ!」っていうレベルです。
一番泣いた映画
あるいは”Ghost”が『ゴースト/ニューヨークの幻』とか、原題を言ってからつけたい題をつける感じもよく見かけます。
最近の洋画の邦題はどんな様子なんでしょう?