少し前に知り合ったアメリカ人男性Sさんは、有名大学で日本語を専攻しただけあって、目を閉じて聞いていると、全く日本人が話しているとしか思えません。
もちろん例の、アメリカ人が日本語を話す時の、あのヘンなアクセントも全くなし。
話すだけじゃなくて、読むのも書くのも、そして歴史などの知識も私より完璧。
専攻したからって、こうまでなりますか?
じゃ、フランス語を専攻した私の立場はどうなります?
きちんと授業も出て勉強したというのに、話せるどころではありませんでした。
ましてや今は、かつてフランス語を学んだなんて、夢か幻のよう。
あんなに苦労したのに、忘れるのはあっという間です。
まあ私のことはさておき、このSさんです。
うちに夕食に招待したら、吸い寄せられるように私の日本語の本ばかりの本棚に行き、じっと見ていました。
どうしてか、どんな本を読んでいるかを見られるのって、恥ずかしくないですか?
Sさんは、村上春樹から古典まで幅広く読んでいるようで、「この解釈はどう思う?」だの「これは意味が分からないけど、どうしてこうなる?」と質問してきます。うー、わかりませんー
ちょっと私の脳ミソがパンクしかけて、ぼーーーっとしだしたのですが、途中、「・・・だから、ちゅれじゅれぐさにはこうあるし・・・」というのが聞こえました。
ちゅれじゅれ?
しばらく考えましたが、文脈から「徒然草」のことだろうと。
さすがのSさんも”つれづれ”の発音は難しいようです。
とにかく、日本語が話せる同士だからといって、話が弾むとは限らないということをSさんから学びました。