今朝は、スクールバスの後ろになってしまって、スクールバスが子供たちをピックアップする度に一緒に待たなくてはならず、レストランには5分遅刻してしまいました。
子供たちが乗り降りする間は、この赤いSTOPサインが90度横に出ますが、その間は追い越しは絶対に禁止です。
聞いた話によれば、朝の子供たちのピックアップの時間は、スクールバスの順路によって差があるそう。
学校区が広い場合には、最初のピックアップの場所と最後のとでは1時間くらいも差があるそうで、朝寝ていられる時間がかなり違うことになります。
思い思いのリュックサックを背負った(ランドセルというものはありません)子供だちをぼんやりながめているうちに、思い出したことがあります。
ずっと前のこと、友人の子供が通う小学校に日本人の男の子A君が新しく編入したのはいいけれど、全く英語が分かりません。
公立の学校でも、学校によってはESLがあるところもありますがその学校はそれもなく、校長先生も担任の先生も本人もものすごく困っているということ。
それでその友人が私のことを思い出して、「助けてあげてくれない?」と連絡してきたのでした。
それでその小学校へ行き、校長先生とともにA君のいるクラスへ。
なるほど、ひとりで教室の片隅でうずくまってなにかしています。
その背後へ「こんにちは」と声をかけてみました。
すると、そのA君は振り向くと同時に大声で泣き始めて、その勢いに校長先生も私もびっくりして手をつないでしまったくらい。
思えば可哀相に、毎日いっぱいいっぱいだったんでしょう、日本語を聞くなり泣き出してしまった気持ち、よーく分かります。
校長先生と相談して授業後日本語クラスをすることになって、もちろんA君も参加してもらいます。
思いのほか生徒が集まって(アニメの人気はあなどれない)、そこでは中心人物となったA君はとても楽しそうでした。
そこで自信をつけたA君は、数ヶ月後にはクラスにも馴染み、いつ見ても笑っていました。
そしてアメリカへ来た理由と同様、ご両親の仕事の都合で2年後には日本へ帰っていきました。
もう10年くらいも前のことですが、A君の中でアメリカで過ごしたことはどういう思い出になっているのか、ちょっと聞いてみたい気もします。
日本語と英語の間で過ごした経験がトラウマになったか、ひとつの思い出になったか、それはA君しか分かりません。
アメリカには、ご両親の仕事の関係などで同じような経験をする子供が沢山いると思いますが、その難しさと取り組んで、結果それが後の自信につながっていればいいなと願います。